戦後日本の「長期政権」と首相像 発足半年、菅政権の行方は?
警戒すべき、政治・行政“劣化”の連鎖
もっとも政策の設計を前提に実施がある訳だから、「上下主従モデル」は必ずしも否定的に捉える必要はない。問題は従わせる政治家が従う官僚より優れているかどうかだ。 現在の政治は小選挙区で当選するための活動、現行制度や政策の微調整、利害調整がメインとなり、中長期の政策構想など練る余裕も能力もない政治家が増えている。官僚組織は政治家の下僚と位置づけられ、そこで働く官僚は忖度、面従腹背の行動様式が一般化する傾向が見られ、政策実務の質の劣化が止まらない。こうした「負の連鎖」が起きている。小ぶりの発想しかできない政治家がリーダーとなり、そのフォロアーと位置づけられた官僚は能力発揮の機会を失い、組織からの離脱を考えるようになる。 最近、キャリア官僚として採用された人材の3割が3年以内に辞めるようだ。かつてなかった現象だ。正直にいうと能力のないリーダー(悪しき政治主導)のもとで部下を務め続けることに夢も希望も抱けない、つまり部下として得られるものがなくなると組織に残る意味を見出せなくなる。 これを現代組織理論の創始者バーナードは「組織均衡論」で説明している。組織側が提供する「誘因」が職員の提供する「貢献」を下回った時、職員は働く意欲を失い、組織を離脱する、と。これがいま日本官僚制の中で起きているのだ。 日本の場合、長らく「官僚主導」という言葉が使われてきたように、法案にせよ、政策、制度にせよ原案作成を官僚に委ねるだけでなく実質の意思決定まで官僚に委ねる傾向にあった。これは反省すべきことではあるが、戦後行政のけん引力であったことは事実だ。
真の政治主導を確立する道筋
民主主義のもとで政治主導は正しい。だが、大学を含め政治家を養成する機関を本気でつくらないと、国民に対する公共政策の劣化は避けられない。あるいは政治家をサポートする政党シンクタンクを本気で創設しないと権力を振り回すだけの政治に堕してしまう。 明治から150年も続いた「右肩上がり」時代の終わった日本、この大転換期にあってこの国をどう導いていくか。政権トップが大局観のある政策構想を持たないと国家のガバナンス(舵取り)が失われてしまう。そうした失われた国家観を取り戻せるか。菅政権は4月以降、外交、五輪などをテコに「攻め」に転ずるとの見方もあるが、果してこの先、解散総選挙を経て「新たな国づくり」に挑む、腰を据えて次代の政策に取り組める長期政権になり得るのか、いま、その正念場に差し掛かっている。