戦後日本の「長期政権」と首相像 発足半年、菅政権の行方は?
【吉田茂】(1946~47、48~54年)
戦後の復興期は吉田茂が長期政権の座にあった。新たな制度や法律、外交関係の樹立など敗戦後の日本の新たな秩序をつくることに力を注いだ。教育基本法、学校教育法、労働基準法、傾斜生産方式、経済安定九原則、経済安定政策、サンフランシスコ平和条約の締結、日米安全保障条約の締結、MSA協定(米国との相互防衛援助協定)、警察法改正と現在につながる制度設計を行った。
【佐藤栄作】(1964~72年)
高度成長期は佐藤栄作が長く首相の座にあった。沖縄返還を筆頭に、ILO87号条約(結社の自由及び団結権の保護に関する条約)批准、農地報償法、日韓基本条約批准、国民祝日法改正による「敬老の日」「体育の日」「建国記念の日」の制定、公害対策基本法の制定を始めとした公害対策、日米安全保障条約自動延長、日米繊維摩擦の解決、内閣総理大臣顕彰制定などを手掛けている。
【中曽根康弘】(1982~87年)
低成長期になると行革に腕を振るう中曽根康弘が長く首相を務めた。これまでの高度成長でつくりあげた制度や政策を低成長時代に合うように見直さざるを得ない。従来の官僚頼みの調整型政治を打破し私的諮問機関を多数設け、大統領型のトップダウンを標榜した政治姿勢で注目された。 「大統領型首相」とも呼ばれたが、前任の鈴木善幸内閣で設置された「第2次臨調」(土光敏夫会長)をテコに、国鉄、電電、たばこ専売など3公社の民営化や、地方行革などで「増税なき財政再建」の道筋を付けることに心血を注いだ。
【小泉純一郎】(2001~06年)
バブル経済崩壊後の不良債権の処理に心血を注いだのが小泉純一郎だ。小泉は「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに、道路関係四公団・石油公団・住宅金融公庫・交通営団など特殊法人の民営化を進めるなど小さな政府を目指した。「官から民へ」の改革と、国と地方の三位一体改革など「聖域なき構造改革」を打ち出し、とりわけ持論である郵政三事業の民営化を「改革の本丸」に位置付けそれを実現した。自民党と官僚の癒着構造を「ぶっ壊す!」と叫び、特殊法人の民営化には族議員などから強い反発を受けるが、“ライオンヘア首相”の人気は高く選挙でそれを突破していった。