戦後日本の「長期政権」と首相像 発足半年、菅政権の行方は?
【安倍晋三】2006~07、12~20年
デフレからの脱却を掲げて長く政権の座に就いたのは安倍晋三だ。経済の安定と日米同盟強化など海外諸国との外交や高い支持率を背景に政権は比較的安定した。「1強多弱」とも評された自民突出の政治状況も追い風に、アベノミクスを推進し、内閣人事局や国家安全保障会議(NSC)を新設して官邸主導という新たな体制を確立した。数の力での法案成立や憲法解釈を変更しての集団的自衛権の容認など、ときには強引な政権運営も行われたが。 政権の後半には森友学園、加計学園、桜を見る会といった問題が影を落とした。政権末期には新型コロナの感染拡大で経済は落ち込み、取り巻く環境は厳しさを増し、病気を理由としたが事実上政権担当力を失っての退陣だった。公約とは裏腹に拉致問題、ロシアとの北方領土問題などは目に見える進展はなかった。
首相における“2つのタイプ”
首相をざっくり「政治家タイプ」と「行政官タイプ」に分ける見方がある。これは必ずしも首相のキャリアと一致しない。吉田、佐藤、中曽根は官僚出身だが、どちらかというと「政治家タイプ」の首相と言えよう。かといって官僚を敵に回した仕事の仕方はしておらず、むしろ官僚の特質を知りぬいていたため、官僚と融合して様々な制度や政策設計を行った。 一方、小泉、安倍は官僚を敵視する傾向があり、“政治主導”の色合いが濃かった。安倍は既存の制度、組織、政策を動かしながら無難に事を進めようという「行政官タイプ」の首相といえる。 逆説的だが、小泉、安倍には官僚経験がない。官僚は政治家の下僚、部下だというイメージを抱いていたのではないか。安倍は2014年、内閣人事局をつくり審議官以上の幹部人事は省庁横断的に政治主導で回した。それ自体は日本官僚制の縦割り構造を打破する意味では一石を投じた。 ただ、運用の段階になると官僚ににらみを利かし、従わざる者は左遷すら行う「刀」を持とうとする。人事権を振り回して官僚を従わせる。安倍政権で長らく官房長官を務め首相になっている菅はその典型。そうすると官僚はどうするか。「触らぬ神に祟りなし」と忖度行動に出、面従腹背に徹するようになる。 本来、政治は設計、行政は実施、その評価は政治が担うと役割は分かれ、これが連携プレイの形で実際の政策は成り立つというのが政策過程論の捉え方。その点からすると、政治家が上で官僚が下という上下主従の捉え方は、ある意味古い政治と行政の関係モデル。むしろ吉田、佐藤、中曽根の方が官僚組織の使い方がうまかったと言えるのではないか。