上司のSNSのプロフィール画像でわかる「自己承認欲求ダダ漏れリーダー」度 薩摩藩・島津久光も欲望の塊だった⁉
部下はリーダーのどこを見ているか
大河ドラマ「西郷どん」でも描かれましたが当時の薩摩藩の事情は複雑で、斉彬と久光は兄弟といっても母が違う。久光の母は側室のお由羅。父の斉興はお由羅を溺愛し、本当は久光を藩主にしたかったといわれます。 お由羅自身も我が子を藩主にしたかった。その一派はひそかに呪詛調伏を行い、斉彬の命を縮めようとしていた。これは証拠もある史実なのだそうです。
歴史小説家であり、研究者からも「自在に史料を読みこなす力がないと書けない」と評される史伝の著者でもあった海音寺潮五郎氏は「斉彬は父の斉興に毒殺された」と推断しておられました。 海音寺氏は鹿児島県出身で、家も代々の薩摩藩郷士。子どものころは土地の古老に「西郷どん」の話を聞かされて育ったそうです。 そのように肌感覚で「薩摩」を知っている海音寺氏の意見だけに重みを感じます。(この原稿も『殿様の限界』『西郷と大久保と久光』など海音寺氏の史伝を参考にして書いています) 当時の斉彬派の人たちも、まさか本人が暗殺に関わったとまでは考えないとしても、久光へのヘイトの念は禁じ得なかったことでしょう。特に西郷にとっては恩人の仇(かたき)の一派に感じられたはず。 斉彬の後継者となったのは久光の息子の忠義。しかし久光が後見となり、藩政を掌握していきます。そして斉彬のプランを引き継いで幕政改革に乗り出そうとする。久光、歴史の大舞台へのデビューです! その展望について意見を求められた際、西郷が久光に対し面と向かって、 「御前ニハ恐レナガラ地ゴロ」 (あなたは田舎ものなので、そんな大計画の実行は無理) と言ってのけた話は有名です。 もともと嫡子ではないから、大名としての教育を受けていない。鹿児島で生まれ、鹿児島から一歩も出ることなく、中年になった。事実その通りなだけに久光も腹が立ったことでしょう。
「ソリが合わない」などという甘いものではない。上司と部下の間には、決定的な憎悪が生まれることになりました。