鉄道の「自動改札機」はどのように進化したのか 97年の歴史と未来の姿
自動改札機が普及するも、関西と関東で異なる状況に
1968年11月、京阪神急行電鉄は伊丹線伊丹駅にも自動改札機を導入。高見沢電機(現・高見沢サイバネティクス)製で、初めて1台で定期券、普通乗車券の両方に対応できるものとした。 以降、名古屋鉄道、東京モノレール、国鉄、富山地方鉄道、東京急行電鉄(現在は鉄軌道事業の分社化により、東急電鉄として再始動)の一部の駅にも自動改札機が導入された。ただ、メーカーが異なるため、自動改札機やきっぷの仕様、規格が統一されていない難点があった。 それを解消するため、日本鉄道サイバネティクス協議会は1971年5月にサイバネ規格を制定。自動改札機の機構標準を確立し、近鉄が実用化を進めていたノーマルオープン式に統一。あわせて「サイバネコード」と称する磁気式乗車券に関する規格を定め、乗車券、定期券とも記録容量が多い磁気エンコード方式(きっぷの裏面を磁気化して、必要な情報を読み書きできる)に統一することになった。当時の磁気式乗車券はウラが茶色のガンマ・ヘタマイトである。 自動改札機は1970年代から1980年代にかけて、関西の大手私鉄、地下鉄を中心に普及した。相互直通運転が少なく、路線や列車も自社線内で完結するところが多いからだ。一方、関東地方は相互直通運転、各鉄道事業者間の連絡運輸が多く、乗車券類のエンコード化が進まなかった影響で、時が止まったような状況だった。
「新サイバネ規格」で関東地方の課題を解消、全国に拡大へ
1989年3月、日本鉄道サイバネティクス協議会は磁気エンコード方式を改良した「新サイバネ規格」を制定。磁石などの影響で情報が簡単に消滅させないよう、保磁力を大幅にアップ。情報の記録方式もNRZ-1からFMに変えることで高密度な記録が可能になった。ウラも茶色のガンマ・ヘタマイトから黒色のバリウム・フェライトに変えることで、普通乗車券で約3倍、定期券で約6倍の情報量を記録できる。 これにより、鉄道ネットワークが広大な関東地方にも自動改札機が導入できることになり、1990年から急速に普及した。 さらに新サイバネ規格の制定により、自動改札機に直接投入し、その場で運賃を差し引くストアードフェアシステムの実用化が可能になった。 先陣を切ったのはJR東日本で、1991年3月1日(金曜日)にイオカードの販売を開始。当初は山手線内の31駅に限定されていたが、のちにエリアを拡大した。 2番目は阪急電鉄で1992年4月1日(水曜日)にラガールスルーの販売を開始。これに先立ち、自動改札機をラガールスルー対応型に更新し、投入口を5度右に傾けることで、左手でも入れやすくした。 券売機や精算機も接客面を斜め45度に傾けることで、視認性や操作性の向上を図る。サービス開始に向けて駅全体の充実に努め、万全盤石の体制を整えた。 1994年4月1日(金曜日)から、ストアードフェアシステムでは初めて能勢電鉄との共通化を図る。2年後の1996年3月20日(水曜日・春分の日)から大阪市営地下鉄、阪神電気鉄道、能勢電鉄、北大阪急行電鉄との共通利用が可能になり、「スルッとKANSAI」というネーミングでアピールした。 3番目は営団地下鉄(現・東京メトロ)で、1991年11月29日(金曜日)にNSメトロカードを発売。この日に開業した南北線駒込―赤羽岩淵間の専用だったが、1996年3月26日(火曜日)の駒込―四ッ谷間の延伸開業に伴い、「SFメトロカード」に改称。営団地下鉄全線の他、都営地下鉄全線にも共通利用できるようにした。2000年10月14日(土曜日・鉄道の日)から関東の私鉄・地下鉄を中心とした「パスネット」として、共通利用エリアが大幅に拡大された。 なお、これらのカードは全て発売終了となった。