鉄道の「自動改札機」はどのように進化したのか 97年の歴史と未来の姿
意外と思われるかもしれないが、日本の鉄道で自動改札機が1937年に登場してから97年。昭和の時代はスローペースで進化していたが、平成に入ると多機能化などが目立つようになった。 【画像】未来型の自動改札機
日本最初の自動改札機はシンプル
日本最初の自動改札機は、1937年12月30日(金曜日)に開業した東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)である。当時は上野―浅草間で、均一運賃だったことから、10銭硬貨を直接投入すると通過できるターンスタイルを採用した。米国のニューヨーク地下鉄で使っていたものを輸入し、小改造を施したもので、人件費の節減に成功した。 しかし、路線網の延伸に伴い、約2キロまでを5銭に値下げ、それ以上を10銭にする対キロ制運賃(乗車区間によって運賃が異なる)の切り替えに伴い、1931年9月16日(水曜日)に廃止した。 2年後の1933年5月20日(土曜日)、大阪市営地下鉄(現・Osaka Metro)梅田―心斎橋間が開業すると、ターンスタイルの自動改札機を導入するも長く続かなかった。
電気製品による自動改札機が登場
1960年代に入ると、世界中で電気製品による自動改札機の開発が進められていた。鉄道の運賃は対キロ制が一般的なので、これらに対応するものが必要とされたのだ。改札を自動化することで、人件費の節減、検札の精度向上、不正乗車の防止が期待できる。あわせて、若年労働者不足や生産性に関する課題も解決できる。 海外では1964年1月から英国のロンドン地下鉄、7月から米国のロングアイランド鉄道で、一部の駅にて小規模な実用試験に入った。1966年1月から米国のイリノイセントラル鉄道では大規模な試験に入ったという。 日本でも1963年頃から近畿日本鉄道(以下、近鉄)と立石電機(現・オムロン)が共同で自動改札機の検討を開始した。定期券専用ながら、歩きながら定期券を挿入し、取り出すというノーマルオープン式の試作機を開発した。自動改札機のゲートを常時開いた状態にすることで、有効期限内の定期券客はそのまま通過、期限切れ、区間外、強引に突破しようとするお客がいた場合、検知器によりゲートが閉まる。 1966年3月から阿倍野橋駅(現・大阪阿部野橋駅)で、近鉄社員を対象にした小規模な実用試験に入った。結果は良好だったものの、実用化には時間を要した。 世界初の実用化は京阪神急行電鉄千里山線(現・阪急電鉄千里線)の北千里駅で、立石電機と共同開発したものが設置され、1967年3月1日(水曜日)の開業と共に供用を開始した。 当時、自動改札機は定期券用と普通乗車券用に分け、正しいきっぷのみゲートが開く。2種類に分けたのは、定期券用は穿孔(せんこう)された特殊なプラスチック製、乗車券は磁気インクでバーコードが印刷されたもので、構造が異なるからだ。