「戦車に“橋”載ってる!!」 今後も見られる? いまやタイヤの時代だが
戦車は戦車橋あっての機動性
「要求された時間内に架橋を完成させ、無事に戦車が通過して前線に送り出せた時、とても満足とやりがいを感じます」(91式戦車橋の乗員) 【動画】ド迫力! にゅ~んと伸びる戦車橋 戦車を通過させるため、戦車をベースにした“可動式の橋”が戦車橋です。その存在は目立たないものの、無くてはならない文字通り「縁の下の力持ち」です。 戦車は履帯(キャタピラ)で悪路も走破できますが、どこでも走れるわけではありません。自然の川や溝、敵の障害物といった人工物など、進路をふさぐ様々なモノを克服できれば、作戦の選択肢はずっと広がります。 ウクライナへは西側諸国から、M60 AVLBが18両、レオパルト1ベースのビーバー架橋戦車が14両供与されており、支援車両として重視されていることが分かります。 冒頭の91式戦車橋の乗員は夜間でも悪天候でも、要求されれば臨機応変に架橋して通路を開設しなければなりません。事前に作業計画される場合もあれば、突然の支援要請もあります。戦車部隊からどこで「お呼び」が掛かりそうかを想定しますが、結果的に出番がない場合もあるそうです。 91式戦車橋は車外に出なくても作業は可能ですが、実際の架橋場所では地形や地盤状態を確認するため偵察はどうしても必要になります。突然の支援要請の場合は地形の見極めが重要で、車長や施設小隊長が決心をします。前線で何十トンもある戦車を不安定な地形を通すわけですから、作業には確実性が求められます。安全第一なのはどこでも同じです。 ところで、戦場に架ける橋にもいろいろあります。用途によって固定橋、浮橋、支援橋、攻撃橋と分類されますが、戦車橋は攻撃橋です。川を渡るためだけではありません。最前線で障害物を越えるためにも使われるので、防御力が高く、走破性の良い戦車がベースに使われます。
戦車橋の始まりはいつ?
戦車橋のルーツは戦車の登場と時を同じくしています。第1次大戦で登場した世界最初の戦車「マークI」は、戦場の荒地を履帯で走破できたのは画期的だったものの、それでもあちこちに掘りめぐらされた塹壕や砲弾の落下痕などにハマると動けなくなりました。 そこで溝を埋めるための長さ約3m、直径約1.5mの鎖で束ねられた薪をマークIの車体に載せて、地面の隙間に落として埋める工夫をしました。これが戦車橋の始まりといえるでしょう。 溝や鉄条網、バリケードを乗り越えられる戦車橋のニーズは高く、戦車を国産している国の多くで研究されますが、構造は複雑で技術的ハードルが多く、製造コストも高くなることからレアな装備でした。第2次大戦にも登場しますが数が少なく、活動記録も多くありません。 第2次大戦でドイツ軍は、戦車中心の機甲部隊と自動車化部隊の機動力を武器とするいわゆる「電撃戦」を編み出しました。支援部隊も戦車の速度に追従する必要があるため、IV号戦車ベースの「ブリュッケンレガー」という戦車橋を1940(昭和15)年までに約20両製造しました。対フランス戦にも投入されましたが、軍の要求を十分満足させる性能ではなく、ほどなく駆逐戦車に再改造されてしまいました。連合軍もシャーマン戦車やチャーチル戦車などをベースとする戦車橋を開発して配備しています。 日本でも戦車壕を迅速に越えるために、工兵用の超壕機TGが研究開発されました。橋を火薬の力によって打ち出して架橋するというユニークな構造でした。1942(昭和17)年に1両が製作されましたが、試験運用にとどまり部隊配備はされませんでした。