【うちの子奮闘記】子どもは私ではない別の人。特性に気づいたら、子どもへの理解が深まった
言葉の理解が得意な第一子の長女、彼女を育てながら「子どもはみんなそうなのだ」と思っていました。しかし、次女との違いがわかるにつれて、それが長女ならではの個性であることに気がつきました。個性を理解し、彼女とより良い人間関係を築き、お互いに気持ちよく暮らしていくために、私が心掛けていることをお話します。
話せば分かる。子どもはみんなそういうものだと思っていた
小学6年生の長女は、幼い頃から言葉に対する理解が優れており、話がよく通じる子でした。 たとえば3~4歳の頃のこと。普段は、夫婦で交代に子どもを見ていますが、その日はお互いの出張が重なってしまいました。預け先が見つからなかったため、出張先へ向かう途中で実家に長女を預けて、その日はお泊りをして翌朝に長女をお迎えすることに。さらに、その足で保育園に登園をしてもらう…という大人でも混乱しそうなスケジュールのことがありました。このスケジュールを彼女がどれくらい理解できるのか分かりませんでした。しかし、こういう理由でこのように行動するよ、ということをしっかり説明したところ、ぐずることも不安がることなく、つつがなく完遂することができました。 私は「こんな無理は二度とさせたくない」と思いましたが、同時に、「子どもでも、説明をすれば複雑な事情でも納得して行動できるんだ」という成功体験にもなり、子育てに対して自信がついたことを覚えています。 苦いお薬を飲む必要ができたときも、飲む理由や、「この薬は苦いけど、それは治すための成分で、本当は甘くしようとしたけど、できなかったのかもしれないね」などと話せばスムーズに服薬してくれました。ほかのことについても、言葉で説明し、理屈が納得できれば、行動につなげられるということがわかりました。 うちは長女が第一子のため、「子どもはみんなそういうものだろう」と思っていましたが、その考えは次女が誕生したことで一変します。お薬の例でいうと、当時の次女は、言葉で説明しても、納得したからお薬を飲む、ということはできませんでした。 次女の場合は、スポーツを応援するときのような掛け声で気分を盛り上げると飲む、という感じ。長女とは異なり、言葉よりも応援や励まされることで動くタイプでした。長女のときに得た「子どもでも、説明をすれば納得して行動できる」という経験則は、あまり当てはまりませんでした。 そんな次女との違いが分かったことで、当たり前だと思っていた「言葉への理解度が高いところ」が長女の資質だったことに気がつきました。