自分を虐待した母を「救いたかった」女性の半生。“不幸菌”をうつす気がして「友人の子どもにも触れない」
できるなら、母のことも救いたかった
心に深手を負いながらも、SNSなどで自身の現況を発信し続けるのしいかさん。配信の根底にはこんな思いがある。 「当たり前ですが、ひとりでいる夜、テレビをつけても情報を一方通行で流すだけでそこに『私』がいないと思ったんです。だから私は、眠れない夜を過ごしている人たちに向けて、スペースで音声を発信するようにしているんです。なるべくリスナーの名前を呼ぶようにしているのも、そのためです」 自らの生き方を通して、のしいかさんが伝えたいこととはなにか。 「難しいですよね。『辛い体験をしても、生きていればいいことがあるよ』。もちろんそう言いたいけど、世の中がそんなに単純になっていないことは私や同じ体験をした人はよく知っていることなので。でも私のように、こうやって笑える日常がくる大丈夫なパターンもあるんだよ、とは伝えたいですね」 インタビューの最後、のしいかさんは「できるなら、母のことも救いたかった」と呟いた。虐待の末に逃れついた場所でなお、被害者は加害者を思う。それは子が親を思う原石に近い感情であり、当事者にしか理解しえない迷路のような猥雑さ。 虐待に終焉はこない。だがそれは被害者が永劫苦しむという不吉な予言ではない。さまざまな出会いによって、人生を塗り替えられるという希望も含んでいる。のしいかさんの澄んだ声が、今は地底でうずくまる誰かの耳に届きますように。同じ傷を抱えた顔の見えない相手を思って、彼女は今日も語りかける。 <取材・文/黒島暁生> 【黒島暁生】 ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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