自分を虐待した母を「救いたかった」女性の半生。“不幸菌”をうつす気がして「友人の子どもにも触れない」
大学進学を断念したのち、19歳で結婚
だがのしいかさんの入学は立ち消えた。 「阪大合格をつげても、父は『どうせ嫁にやるのに学をつけて何になるんだ』というし、母は『近所の◯◯ちゃんは法学部よ。文学部なんてダメ』とけなします。何をしても認めてもらえない辛さ、私にマウントを取ってやる気をくじくことに腐心する姿をみて、『もうここにはいたくない』とバッグにとりあえずのものを詰めて家出をしました。大学には、入学できませんでした」 その後ののしいかさんの人生もまた、波乱に満ちている。路上生活をしながら売春行為を繰り返し、客とホテルに宿泊するか、それ以外は公園で夜を明かした。そんななか、とある飲食店に出入りするようになり、19歳でオーナーと結婚。 「結婚相手に借金があり、水商売で働いて家計を助けなくてはなりませんでした。かなりの過重労働で、摂食障害などの症状が出てしまい、私は倒れました。でも配偶者は私の身体の心配をしてくれず、『店の罰金支払わないといけないじゃん』と常にお金のことばかり考えていました。体調が悪く市販薬に頼っている私を、『市販薬依存で働けないようなやつはいらない』と配偶者は家から叩き出しました」
母の葬儀でいがみ合う「母の親族と父の親族」
追い出されたのしいかさんが頼ったのは、夜の店の客。店では金払いのいい客だったが、愛人となってからは束縛が激しくなった。 「ホテルを用意され、彼が経営する会社で働くことを強いられました。けれども独占欲の強い人で、他の社員と話すことにも苛立つような人です。当然、社長の愛人ですから、社内でも腫れ物扱いでした。常に与えられた場所にいて、外に出ることは許されず、会社までの往復をするだけの生活でした。思えば唯一の癒やしは読書だったかもしれません」 のしいかさんは30歳を目前にしたある日、着の身着のままで脱出し、上京した。 時間軸が前後するが、アルコール依存症だったのしいかさんの母親は、のしいかさんが19歳のころ、他界している。 「家族に行き先を告げず、私は家出をしました。唯一居場所を教えていた友人が母の危篤を知らせてくれました。病院で見る母はチューブなどに繋がれ、大量の吐血があったことがわかりました。肝硬変を患い、食道の静脈から出血したというのです。母が亡くなってからも、母の親族と父の親族はいがみ合い、言い争いをする始末でした。葬儀のあと、私はまた彼らの前から姿を消すことにしました」