自分を虐待した母を「救いたかった」女性の半生。“不幸菌”をうつす気がして「友人の子どもにも触れない」
「父の生存」がもたらしたPTSDの症状
それ以来連絡をまったく取らなかった父親。だが意外な形で生存を確認することになった。 「2年前、ある自治体から封書が届きました。生活保護扶養照会です。なぜだか理由はわからないのですが、その日以来、妙にリアルな悪夢をみて心臓が大きく波打ったり、ヘッドフォンをして音楽を聴いているのに母の声が聞こえたりするような症状が現れたんです」 精神科を受診したところ、診断は複雑性PTSD。のしいかさんは、自分の心が疲弊しているのを知った。 「虐待の後遺症なのだと思います。でも不思議ですよね。虐待を受けて、そこを生き延びてから、もうだいぶ時間が経っているのに、今も苦しむんです。だから、虐待に終わりなんてないんだと私は思っています」
「友人の子ども」に触れていいか悩む
たとえば日常の些細な場面においても、いたたまれない思いをすることがあるという。 「何気ない会話でも、ふとしたときに深く落ち込むことがあります。『正月は実家に帰るの?』『親には顔を見せてるの?』なんて言われると、悪意はないとわかっていても暗い気持ちになります。Googleストリートビューでみると、私の実家があった場所は駐車場になっていたんです。その家は帰りたいと思える家ではなかった。そのことが、とても切なくなるときがあります。 信頼できるかもと思った人に、『虐待は連鎖するっていうからね』と言われたときも、『私はそんなにダメな人間なのか』と落ち込みました。かといって、哀れみの目で見られるのも耐えられないんです。きっと扱いに困るだろうな、というのは自分でもわかっています」 その出自において必ずしも幸福ではなかったという自認は、たとえばこんな感情を呼び起こすのだという。 「友人に子どもが生まれたとき、『私がこの子に触れていいのだろうか』と思ってしまいます。“不幸菌”みたいなものがついて、この子の未来を汚してしまうようで、気が引けるんです。上京してから、紳士服店に勤務していたこともあったのですが、家族で買いに来ている人たちを見ると、自分がここで接客してはいけないのではないかという感覚になるんです」