アイルトン・セナの最期は「覇気がないというか、苦悩に満ちていた」日本人F1カメラマンが目撃した表情の変化
【セナはホンダ、ホンダはセナ】 1993年シーズン、マクラーレン・フォードに乗ったセナは雨のレースなどで何度かすばらしい走りを見せてくれましたが、チャンピオン争いでは宿敵のアラン・プロストの乗るウイリアムズ・ルノーに歯が立ちませんでした。 4度目のタイトル獲得を目指してマクラーレンからウイリアムズに移籍した1994年も速さはありましたが、波に乗れなかった。 開幕戦の母国ブラジルGPはドライブミスでリタイア、TIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)で開催された第2戦のパシフィックGPもスタート直後に追突されてリタイア。そして、運命の第3戦サンマリノGPを迎えます。 1994年のセナは、マクラーレン・ホンダ時代とは表情が違いました。きっとウイリアムズ・ルノーのマシンが自分のイメージしたものとは違ったのでしょう。覇気がないというか、苦悩に満ちた表情が多かった。もはや栄光に満ちたセナの姿ではありませんでした。 今、あらためて振り返ると、やっぱりセナはホンダだし、ホンダはセナなんです。ホンダがいたからセナはあそこまで強さを発揮できたし、ホンダもセナがいたからあれだけ勝てたと思います。 そういう意味では、セナが輝きを放っていたのはホンダとともに戦っていた1992年シーズンまででした。ウイリアムズ時代のセナは、多くの人がイメージするセナではないと僕は感じています。 後編<アイルトン・セナとホンダの深い絆、マンセルとの涙の抱擁......F1フォトグラファー・桜井淳雄がとらえた名場面(ベストショット5枚)>を読む 堂本光一インタビュー<「アイルトン・セナは僕のアイドル」伝説のレースに大興奮した少年時代を語る>を読む F1フォトグラファー・熱田護インタビュー前編<「アイルトン・セナほど人間的な魅力にあふれるドライバーはいない」心残りは「独占写真のフィルムを盗まれ...」> F1フォトグラファー・熱田護インタビュー後編<アイルトン・セナを愛したF1カメラマン・熱田護のベストショット6選「どんどん彼の魅力にひかれていった」> 【プロフィール】桜井淳雄 さくらい・あつお 1968年、三重県津市生まれ。1990年と1991年の日本GPよりF1の撮影を開始。これまでに400戦以上を取材し、F1やフェラーリの公式フォトグラファーも務める。YouTubeでは『ヒゲおじ』として公式チャンネルを開設し、GPウィークは『ヒゲおじ F1日記』を配信し好評を得ている。
川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi