「フリップネタがもはやプレゼン」東大卒芸人・石井てる美「自分の殻破れずウケない」葛藤と支え合った平野ノラの存在
東大からマッキンゼーを経てお笑い芸人になった石井てる美さん。経歴だけ見ればインテリ芸人の装いかと思いきや、本人には「バカバカしいことをして人を笑わせたい」という思いがありました。(全3回中の3回) 【写真】大親友・平野ノラさんとの「バブル感半端ない」2ショットほか(全15枚)
■お笑いの舞台なのにプレゼン口調で話してしまい ── 大手コンサルティング会社のマッキンゼーを辞めてお笑いの道へと踏み出す、勇気ある決断をしました。でも、芸人として手ごたえがなかなか得られず、苦しい時代を経験されたそうですね。
石井さん:ワタナベエンターテインメントのお笑い養成所で1年間学びましたが、卒業時の事務所所属オーディションで不合格になってしまったんです。養成所を卒業したからといって全員がそのまま事務所に所属できるわけではなく、入れるのは1~2割。私は、ただの「自称ひょうきん野郎」でしかなく、お笑い芸人としてはまだカタチになっていなかったんです。当時を振り返ると、舞台で自分をさらけ出せていませんでした。 ── 何かがストッパーになっていたのでしょうか?
石井さん:人前に立つと、この世界にくる前に社会人として働いていたときのような「よそいきの自分」のスイッチが入ってしまい、舞台でなかなかはじけられなかったんです。当時、フリップネタをやっていたのですが、「え~、では、いまから始めさせていただきます」と、まるでプレゼンでもするかのような堅苦しさでした。舞台上でお客さんの目が見られないし、自分の殻を破ることができませんでした。 ── 殻を破れなかったのは、ご自分としてはなぜだと思われますか?
石井さん:当時はまだ、「お笑いのネタってこんな感じだよね」と、一生懸命それらしく振る舞っていただけで、自分の内側から湧き出てくるものを表現するだけのスキルが伴っていなかったんです。だから、気持ちものっかっていないし、何も伝わらない。友だちを笑わせるときのままの自分でステージに立てばいいのに、当初はそれができませんでした。 自分らしさを発揮したネタを作りたいけれど、どうやって表現すればいいのかわからない。やりたいことがあるのにカタチにできないもどかしさで、悶々とした時期が4~5年ほど続き、出口の見えないトンネルをさまよい歩く感じでした。過度なプレッシャーから心身に不調をきたして、会社を辞めたマッキンゼー時代よりつらかったかもしれません。