灘高→東大の秀才がハーバードで初めて知った「できない自分」教授が出した助け舟とは?
2023年、26歳で兵庫県芦屋市の市長となった髙島崚輔さん。全国屈指の名門中高一貫校・灘校から東大を経てハーバード大学卒業という、華々しい経歴の持ち主だ。海外生活で得たことや、市長としての夢、「学ぶ楽しさを知った」という幼少期の原体験を聞いた。(取材・文/フリーライター 梅原光彦) ハーバードの卒業式は3日間行われる ● ハーバードの授業を体験 「生き生き」学ぶ姿に魅力を感じる ――灘高校を卒業して東京大学に入学し、その半年後の秋にハーバード大学に入り直していますね。 ハーバード大学受験を決めたのは高2の冬です。ハーバードに進学して一時帰国していた先輩から現地の話をいろいろ聞いたとき「髙島は絶対アメリカの大学が合ってる」と勧められたのです。 最初は「英語が話せないし無理ですよ」と躊躇していたら「見学だけでもしてみたら」と誘われて現地を訪問しました。授業に入れてもらったり、寮や部活の様子を見学したりして、学生一人一人が生き生きと自分の学びたいことに向き合ってる姿を見て、とても魅力的な環境だと感じました。 東大をダブル受験したのは、アメリカの大学が始まる秋までの半年間をどう過ごそうかと思っていたとき、東大に面白そうなゼミがあると聞いて受講してみたいと思ったからです。
● 周りの議論についていけない… 教授に泣きつく ――ハーバードの授業や、アメリカでの生活はどうでしたか。 入学当初は、英語で本当に苦労しました。ハーバードは少人数でディスカッションする授業が多いのですが、まず周りの学生たちが何を言ってるのか全く分からない(笑)。自分の意見を言うどころではなかったですね。しかし少人数の授業では、出席しても発言しなければ「出席点」は0点。欠席扱いになってしまいます。 教授に相談に行くと「授業の最初に手を挙げなさい。そしたら当ててあげる」と言われました。教授の質問は分かりやすい英語で何とか理解できたので、学生たちの議論中に入るより発言がしやすいというわけです。そこから少しずつ、恥をかきながら慣れていきました。特別な上達法なんてありません。分からないことはとにかく聞く。「打席に立つ」ことが大事だと学びました。 海外に出てよかったと思うことは、自分がマイノリティーになる経験ができたことです。それまで私は恵まれた環境で育ち、何でも「自分でやろう、やれる!」と思って生きてきました。周りからは頼られることが多く、誤解を恐れずに言うと「できる側」でした。そんな私が「できない」という立場になったのです。 例えば、病気になってもどんな痛みなのか医師に伝えられない。初めて自分の弱さを知り、人に助けを求められるようになりました。周りに助けてもらう経験をしたことで、助けを必要としている人のことが想像できるようになったのも大きな収穫です。この経験は今の市長の仕事にも生きていると感じます。