創業107年・長者湯の代替わり 京情緒たっぷりの湯に加わった小さなサウナ
【連載】ニッポン銭湯風土記
旅が好きだからといって、いつも旅ばかりしているわけにはいかない。多くの人は、人生の時間の大半を地元での地道な日常生活に費やしているはず。私もその一人だ。が、少し異なるのは、夕方近くにはほぼ毎日、その地域で昔から続く銭湯(一般公衆浴場)ののれんをくぐることだろうか。この習慣は地元でも旅先でも変わらない。昔ながらの銭湯の客は、地域の常連さんがほとんど。近場であれ旅先であれ、知らない人たちのコミュニティーへよそ者として、しかも裸でお邪魔することは、けっこうな非日常体験であり、ひとつの旅なのだ。 【画像】もっと写真を見る(10枚)
湯上がり、小さな公園で
イケメンすぎるやん一条天皇! あ、いやNHKの大河ドラマのことですが。現在放映中の「光る君へ」で一条天皇役の俳優さん、名前は知らないけど鼻筋がスッと通って少女漫画に出てきそうな、そう、こういうのを「絵に描いたようなイケメン」と言うんだねぇ。 というようなことを唐突に思ったのは、京都の長者湯という銭湯でひとっ風呂浴びたあと、湯上がりのぬれた髪を乾かしがてら北へぶらぶらと数分歩いたところで「一条院跡」に出くわしたからだった。 当時の天皇の住まいである平安京の内裏(だいり)は火事が多く、7歳で即位した一条天皇の在位中(986~1011年)、内裏は三度も焼けてしまったという。それを建て直しているあいだ、天皇は藤原氏の邸宅などに移り住んで「里内裏(さとだいり)」とした。この場所は999年の内裏焼亡から一条天皇の崩御までの12年間、里内裏として使用されたらしい。 そして紫式部が「源氏物語」を書いたのはこのときであり、物語に出てくる「内裏」はここを指す。私が湯上がりにボケーッと歩いていて出くわしたこの場所こそが、雅(みやび)な宮廷文化サロンだったのだ。 現在は小さな児童公園があり、案内板が1枚立っているほかはまったく観光化されていない。公衆トイレがあったのでとりあえず借りた。しかしよく考えたら、風呂あがりの散歩途中に千年前のそのような場所に行き当たってしまうのがまことに何というか、京都とはそういう街である。