意外に知らない?明大と東大、井の頭線「2つの大学駅名」誕生秘話 開業当初は少々物騒な名前だった「明大前」
東京都には150近くの大学があるという。日本全体で800ぐらいなのだから、いかに集中しているかがわかるだろう。東京一極集中の理由の1つもここにありそうだ。 【写真を見る】早稲田・慶應義塾・法政・明治・東京・立教で構成する「東京六大学」。その大学名を冠した都内の駅はどれ? ゆえに東京では昔から、学生スポーツも盛んだった。その代表格と言えるのが現在、秋のリーグ戦が行われている東京六大学野球で、始まったのは1925年と、来年で100周年を迎える歴史を誇る。 ■明大と東大だけ? 東京六大学とあるぐらいなので、早稲田・慶應義塾・法政・明治・東京・立教の6つの大学の本拠地はいずれも都内にある。当然ながら公共交通でのアクセスはしやすい。しかし全国に大学の名を掲げた鉄道駅が目立つ中、実際に六大学の名前を冠した駅は、意外に少ない。
【写真】京王井の頭線の電車1本で行ける「明大前」と「駒場東大前」。東京メトロ南北線の「東大前」から本郷キャンパス正門までは少し歩く(12枚) 都内に限ると、京王電鉄の明大前駅と駒場東大前駅、東京メトロの東大前駅の3つしかない。ちなみに同じ東京メトロの早稲田駅は、もともと地名が早稲田だったためで、大学の名前もそこに由来しており、「早大前」と明確に名乗ってはいない。都電荒川線にも早稲田の停留場がある。
では、どのような経緯で六大学の駅が生まれたのか。3つのうち2つ六大学の駅名を持つ京王電鉄について紹介していくことにする。 最初に開業したのは明大前駅で、1913年にまず京王線の駅として生まれた。ただし、当初の駅の場所はやや西にあり、火薬庫前という少々物騒な駅名を付けていた。 このあたりの経緯は、明治大学のオフィシャルサイトにも、現在和泉キャンパスがある場所に陸軍省和泉新田火薬庫があったことから、この駅名になったと記されている。
■「明大前駅」の由来 まもなく駅名は地名である松原駅に変えられたが、その後1923年に発生した関東大震災で、明治大学の本拠地である千代田区の駿河台キャンパスが被災したうえに、震災後に学部の増設を行ったことで新たなキャンパスが必要となり、火薬庫があった場所にキャンパスが開かれることになった。 さらに1933年に井の頭線が開通すると、現在の明大前駅の位置に、西松原駅が置かれた。当時の井の頭線は帝都電鉄という小田急電鉄系の会社だったので、単独で駅を設けたようだが、西松原駅の西に松原駅があるわかりにくさもあり、2年後に松原駅が西松原駅の位置に移設され、現在の駅名になった。