コロンビアで国際同性結婚をした僧侶 LGBTQの課題を明るく伝える手本に
「運命の出会い」はスペイン・バルセロナのバル
お二人の出会いは2022年5月、スペイン・バルセロナだそうですね。西村さんのほうからフアンさんに声をかけたとか。 西村宏堂氏(以下、西村):はい。食事をしようと入ったバルのカウンターで、隣に座ってきたのがフアンでした。どこの国の人だろう、スペイン人だろうか、と気になって尋ねてみたのがきっかけです。 フアン・パブロ・レジェス・ディアス氏(以下、フアン):私は、コロナ禍の影響でリスケジュールをした欧州旅行の最中で、最終訪問国としてスペインを訪れていました。それまで日本人と話したことがなかったので、あのときのことはよく覚えています。 それぞれ出身地の文化はとても違うのですが、子供時代に好きだったものや抱えている悩みが似ていて会話が弾みました。私は幼少期から、男の子よりも女の子と遊ぶ方が楽しく、でもそれで周囲から奇異な眼差しで見られることもありました。特に、誰にも言えなかった悩みは2人の共通点でしたね。 西村:フアンは「世の中には男女差別があるけれども、 人類が先に終わるのと、男女差別が先に終わるのは、どちらが先だと思う?」とか、「お金があっても愛のない人生を送るか、貧しくても愛のある人生を送るか、どちらを選ぶ?」といった哲学的な問いかけをしてきて、この人とは気が合うな、と思ったのを覚えています。 同性愛者であることで苦しまれた過去について、少しお聞きしてもいいですか。つらかった時期に、自分を強くしてくれたものは何でしたか。 西村:心を許せる友人が1人もいなかった高校時代、私を救ってくれたのは英語学習のほかに、自分と同じような境遇の人たちが集うオンラインのチャットルームでした。そこにいると、「1人じゃない」と思えたのです。 孤独に感じていた自分が、そのオンラインチャットでは本音が話せて、同士のような存在ができたわけですね。
自分らしくいられる場所を探して海外に飛び出した
西村:でも一方で心の中では、同性愛者であっても何も悪いことをしていないのだから、後ろめたさを感じる必要はないとも思っていました。同性愛者が胸を張って生きていけるような社会をつくっていかなければ、という使命感のような思いも抱いていました。 私は18歳で米国の大学に進学しましたが、すぐには自分らしくいられるようにはなりませんでした。でも、自分らしく胸を張って生きている人と出会ったり、自分と同じような辛い経験をした人と出会ったり、同性愛者の歴史を学んだりするなかで、人と違うことで悩んでいる全体像が見えてきた気がしたのです。 日本では同性愛者に対するネガティブな表現ばかりを耳にしていましたが、海外へ飛び出してみたら、数々の「普通」が存在していることが分かりました。また、人種差別の歴史を学ぶと、いつの時代もハードルを乗り越えながら大勢の人が戦ってきたのを知りました。これらの学びが、自分を恥じる必要はないことに気づかせてくれたのです。 フアンさんはいかがですか。 フアン:同性愛者である自分は、他の人と違う“おかしい存在”なのだ――。そう思いたくはなかったけれど、私も自身のセクシュアリティについてはずっと悩んでいました。 けれどある日、ふと「どんな自分であっても自分の存在を認め、受け入れなければならない」と気づいたのです。悩み事がある自分でさえも受け入れ、自分自身を好きになれたら、周りの人を愛せるようになるのでは、と。やがてその気づきは自分の中で「強さ」に進化していき、そして今、こうしてすてきなパートナーに出会えたのだと思います。 そんな2人がバルセロナで運命的な出会いをして、1年4カ月後に同性婚が認められているコロンビアで結婚したわけですね。お二人に聞きたいのですが、「結婚」に対してどんなイメージを抱いていましたか。ちゅうちょすることはありませんでしたか。 フアン:両親の幸せそうな姿をいつも見ていましたから、いつかは結婚し、家庭を築きたいと思っていました。彼と出会い、同性婚という選択ができてうれしく思っています。