『ルート29』生と死が溶け合う世界のポリフォニー
『ルート29』あらすじ
他者と必要以上のコミュニケーションをとることをしないのり子は、鳥取の町で清掃員として働いている。ある日、仕事で訪れた病院で、入院患者の理映子から「姫路にいる私の娘をここに連れてきてほしい」と頼まれた彼女は、その依頼を受け入れ、単身で姫路へと向かう。理映子から渡された写真を頼りに、のり子が見つけることができたハルは、林の中で秘密基地を作って遊ぶような風変わりな女の子だった。初対面ののり子の顔を見て、「トンボ」というあだ名をつけるハル。2匹の犬を連れた赤い服の女、天地が逆さまにひっくり返った車の中に座っていたじいじ、「人間社会から逃れるために旅をしている」と語る親子、久しぶりに会った姉など、さまざまな人たちと出会いながら、姫路から鳥取まで一本道の国道29号線を進んでいく2人の旅が始まった──。
手を取り合って世界と向き合う
『ルート29』(24)の試写に出向いたら、受付の近くに眼鏡をかけた男性が佇んでいた。悪戯っ子のような目つきで、「お、誰か来た」みたいに筆者の姿を眺めていた。この人物が、森井勇佑監督であることを筆者はすぐに察したのだが、「あ、えっと、森井勇佑監督ですか?お目にかかれて光栄です。『こちらあみ子』すごい好きです…」と、ファン丸出しの言葉を投げかけるのもなんだか憚られたので、何も言わずそのまま試写室に入ってしまった。 映画が始まる前に森井監督が登壇して、「あとでぜひ、皆さんの感想を聞かせてください」と挨拶。「今度こそ、森井監督と直にお話できるチャンス!」と心の中でガッツポーズしたのだが、スクリーンを2時間凝視し続け、エンドロールが流れても、この作品に拮抗し得る言葉が何一つ生まれてこない。完全にライター失格。逃げるように、そそくさと試写室をあとにしてしまった。 思えば、森井監督のデビュー作『こちらあみ子』(22)を映画館で目撃したときもそうだった。溢れ出てくるイメージの奔流に圧倒されてしまい、言語中枢が壊滅状態。あみ子が「お化けなんかないさ、おばけなんてうそさ~」と歌うと、ミイラ男やら、トイレの花子さんやら、歴代の校長先生やら、モコモコ頭の偉人音楽家やらが登場して、気がつけばあみ子と一緒に遊んでいる。不意に訪れるマジカルな場面すらも、それがさも自然であるかのように、映画のなかに慎ましく収まっていた。 全てのショットが瑞々しくて、全てのショットが煌めいている。デビュー作にしてこんな物凄い映画を作ってしまった森井監督に、筆者はすっかり畏敬の念を抱いてしまった。理屈云々ではなく、映像作家としての研ぎ澄まされた直感と本能で、彼はこの傑作をモノにしたのだろう。まさにナチュラル・ボーン・シネアスト。 『ルート29』もまた、全てのショットが自由闊達なイメージで覆われた一作だ。原作は、中尾太一の詩集「ルート29、解放」。煌めくような言葉たちにインスピレーションを受けた森井監督が、姫路から鳥取を結ぶ国道29号線を旅して、コツコツとシナリオを書き溜めていった。実質的なオリジナル脚本と言っていいだろう。 誰にも心を開くことなく、ずっと孤独に生きてきたのり子(綾瀬はるか)。ローラースケートでびゅんびゅん街のなかを駆け回る、ちょっと不思議な女の子ハル(大沢一菜)。そんな二人が、国道29号線を北上する旅に出る。たった1人で少女が世界と正対する『こちらあみ子』に対して、『ルート29』は2人が手を取り合って世界と向き合う物語なのだ。