『ルート29』生と死が溶け合う世界のポリフォニー
この世とあの世のあわい
撮影監督・飯岡幸子の手によるカメラは、緑萌ゆる森を、雨に濡れた歩道を、赤い満月に照らされた街を、色鮮やかに切り取っていく。パステルカラーに彩られた童話のような世界。しかしその一方で、死の匂いも濃厚に漂っている。じいじはカヌーに乗って<向こう側>へ渡ってしまうし、喫茶店の老人たちは写真をめくるたびに「生きてる」「死んでる」と判定する謎のゲームに興じている。 生の彼岸に死があるのではない。生と死の境界線が曖昧になっているだけ。ヒトも、動物も、昆虫も、そして生と死さえも、すべてが等価で存在している。思えばあみ子は、全ての事物・事象に分け隔てなく接することで、周りから煙たがられていた。実質的にあみ子と同一人物と言っていいハルもまた、世界をスーパーフラットな視座で眼差している。おそらく我々が幼いころに宿していた、極めて原初的な視座で。 ハルから「トンボ」という名前を与えられたことで、のり子も仲間と認められ、同じように世界を眼差すようになる。不意に迷い込んだ森のなか、彼女はホーホーとアオバズクの鳴き声を真似たり、ダンゴムシが足を這う様子をじっと眺めたりする(『こちらあみ子』でも、ダンゴムシが足を這うシーンがインサートされていた)。のり子は、もう一人のハルであり、もう一人のあみ子なのだ。 だからこの映画には、幽界から招き入れられたような、不思議な人々が次から次へと登場する。いつも2匹の大型犬を連れている、赤い服をまとったご婦人。なぜか黙ってのり子とハルの後ろを付いてくる、じいじ。ハルからシャケ師匠と呼ばれている、秘密基地の仲間。寺山修司の『田園に死す』(74)に登場する奇天烈キャラと、タメはれるくらいのインパクト。『ルート29』は、この世とあの世が地続きに繋がっている。 この映画を観ていて、筆者の脳裏にある映画監督の名前が浮かんだ。映像の魔術師、鈴木清順。『ツィゴイネルワイゼン』(80)、『陽炎座』(81)、『夢二』(91)の浪漫三部作で、この世とあの世のあわいを美しい幻想譚として創り上げた、キング・オブ・カルト。2023年には、鈴木清順監督生誕100年記念を記念して、浪漫三部作の4Kデジタル完全修復版「SEIJUN RETURNS in 4K」が公開されている。その予告編をディレクションしているのが、森井監督なのだ。 絢爛で幽玄たる鈴木清順的世界と、ファンタジーのようなたおやかさに満ちた森井勇佑的世界。映画作家としての資質は真逆のように見えるが、実は根っこでは繋がっているのではないか。それは、「SEIJUN RETURNS in 4K」予告編にも使われていたコピーにも顕著だーーー「生きているひとは死んでいて、死んだひとこそ生きているような」。 森井監督には、確実に鈴木清順のアヴァンギャルド精神が宿っている。