香港で上り詰めた日本人シェフが語る「ミシュラン3つ星」の真価
佐藤氏が何より大切にしたいこと
それから3年、佐藤氏は2015年まで料理長を務め、オープン初年度からミシュランの2つ星も獲得する。順調すぎるほどの滑り出しに思えたが、佐藤氏の中には、本来の自分のやりたいこととの微差がたまって大きな澱のようなものとなり、自らの店を出すことへと気持ちが傾いていった。やはり、フランス料理への思いが捨てきれず、再び熱い思いとなってふつふつとたぎっていたのである。 その期に、二番手であり、龍吟のオープニングスタッフでもあり、信頼のおけるスーシェフであった関 秀道氏に料理長を譲り、山本氏の理解と後押しを受けて円満に自らの店を出店するにいたった。 新しい店の名は「Ta Vie」。店を構えた場所は、香港の中心地・セントラルにありながら、古い石畳の階段を上がったビルの2階にある。その場所は、かって、西洋人と中国人の居留区を分けるクロスロードでもあったのだそう。店内は、そんな古今と、洋の東西が行き来する立地にぴたりとはまった黒を基調にしたコロニアル調のクラシカルなデザインでまとめられている。 コースはおまかせのみ。フランス料理をベースに、下処理や火入れなど細かい部分に日本料理の技術を駆使している。 ある日のメニューは、前菜に「青柳ときゅうりのサラダ」、「生海苔ソース和えの手打ちパスタ うに添え」、「ハーブオイルでしゃぶしゃぶしたタコとフルーツトマトのテリーヌ タプナードソース添え」、「ローストロブスターのレンズ豆と甲殻類のスープ添え」、「リムーザン産仔牛のロースト秋のきのこ添え」、デセールに「レモンクリームのショートブレッド ブルーベリーアイスクリーム添え」、「カボチャクリームのエクレア」。 今どきのスタンダードともいえる、アミューズ数皿、10皿程度のおまかせコースという構成ではなく、料理は前菜を含めて5皿に、デセール2皿というシンプルな仕立てだ。一皿ずつは比較的ボリュームがあり、記憶にしっかりと刻まれる料理が並ぶ。 佐藤氏は言う。 「自分の料理は今の時代の流れの逆をいっているかもしれません。インスタ映えやプレゼンテーション優先、多皿構成のコースを本当に皆が美味しいと思っているのか、もしかしてもう飽きているのではないか、と疑問を呈しています。私自身は“味と香り”、“おいしさ”ということを何より大切にしたいので、一皿一皿を存分に堪能して脳と体が満たされ、7皿の満足の余韻が重なって幸せな記憶となる、そんな料理を作りたい。そうした思いが、ミシュランの調査員にも届いている。だからこそ、短時間で星を重ねてこられたのではないでしょうか」。