俵万智さんと飯間浩明さんが語り合う、辞書と短歌と変わる日本語。
正誤にこだわる人を納得させるためには。
俵 生半可な反論だと太刀打ちできないと思ったので、「『とても』という副詞も、もともとは『とても~できない』というような打ち消しを伴う使い方だったけれど、今は『とても良い』のように単なる強調でも使いますよね」と返したら、おとなしくなってくれました(笑)。 飯間 お見事です。そんなに目くじら立てなくても、と思う議論はよくありますね。「雰囲気を“ふいんき”と言うのは誤りだ、“ふんいき”と言わなければならない」とか。でも、「ふんいき」は「んい」のあたりが鼻にかかって、区別が曖昧になりやすいんです。批判している当人も、実際には「ふいんき」に近く発音しているかもしれません。 俵 雰囲気にこだわる人には、「あきはばら(秋葉原)」や「さざんか(山茶花)」の話をすると納得してくれるかも。 飯間 音がひっくり返る「音位転換」の現象ですね。「あたらしい(新)」が「あらたし」から来ているのもこれと似ています。
言葉の音が時代とともに変化する例。
「ふんいき」の中間の「~uni~」は鼻にかかるため、音が聞き分けにくく、「ふいんき」「ふういき」などの形が現れた。『三省堂国語辞典』では話し言葉と捉えている。
漢字で書くと「山茶花」で、もとは「さんさか・さんざか」と発音したが、後に「ん」「ざ」がひっくり返った。「したつづみ(舌鼓)」→「したづつみ」もこれと似た変化。 共に『三省堂国語辞典 第八版』より
俵 ただ、言ってもらってありがたいこともあります。短歌を身近に感じてもらうために、「口語だって流行語だってどんな言葉でも使える世界なのだから、そんなに敷居が高いと思わないでください」と話していた時期があるんです。すると「“敷居が高い”というのはこちらが義理を欠いているときに使う言葉だから、間違ってますよ」と言ってくださった人がいて。ちょっと調べたら、確かに誤用なのかなと思ったので、以来、「ハードルが高い」と言うようになりました。 飯間 「敷居が高い」を「とっつきにくい」の意味で使う、ということですね。これは定着していると思います。『三省堂国語辞典』では「敷居が高い」の意味を3つに分けています。元は「義理を欠いたりして、その人の家に行きにくい」ですが、「近寄りにくい」「気軽に体験できない」の意味も長く使われているので、年代とともに示しています。 俵 素晴らしい。辞書のこんなに限られたスペースの中で、痒いところに手が届く、行き届いた解説がされていて。感動しました。