エリート家庭のお嬢様→少年院にも入る筋金入りのワル→“日本初の女ヤクザ”になった西村まこ(58)の壮絶人生「学校のテストは100点以外なら竹の棒で体罰」
街の不良がなぜヤクザに?
――どのように街の不良から、本職のヤクザになったんですか? 西村 ケンカの強さが評判になって、「入れ墨女」とかあだ名つけられたり、デートクラブを立ち上げて稼いでいたりしたら、向こうからスカウトされました。最初は稲川会に声をかけられたんですが、あまりついていきたいと思える相手ではなかったので断りました。その後、「この人なら」と思える親分に出会って、住吉会の系列である杉野組に入りました。 ――普通の不良は、「ハタチくらいでワルは卒業」みたいに考えるものですが、まこさんはそうじゃなかったんですね。 西村 どうせやるからには一番になりたい性分なので、私はワルを極めたかった。まぁ、さすがにスカウトされるとは思っていなかったけど、もともとヤクザの世界に興味はあったので、声をかけられたときは嬉しかったですね。
ほかの受刑者たちは「みんな優しくて楽しかった」
――少年院も含めると、人生で塀の中に何年くらいいたんですか? 西村 シャブやら傷害やらで中等少年院に1年3か月、特別少年院に1年、刑務所に2年半。合わせて約5年ですね。5年と聞くと長いですが、出たり入ったりなのでそう長くは感じませんでした。 ――刑務所の中の人間関係は弱肉強食で大変そうなイメージがあります。 西村 いじめられる側の人は大変だと思います。でも私の場合は「女ヤクザが来る」ってあらかじめ噂になっていたらしくて、周りが勝手に怯えてくれたのか、あまりイヤな思いはしませんでした。むしろ受刑者の中では年齢が若いほうだったから、みんな優しくて楽しかったですね。年をとった人は食が細いから、お菓子とかを私にくれるんですよ。正直、私はそんなに食べ物への執着がないので、「もらっても……」という感じでしたが(笑)。 あの頃の女子刑務所は、ゆるかったです。先生(刑務官)が見ていないときは正座を崩して楽に座っていたし、塀の中で辛かった思い出は特にありません。雑居房はワイワイ楽しかったのに独居房はひとりでつまらなかったくらいですかね。 「200万くらい儲かったかな」“三重県の売春島”に借金のある女性を売ったことも…日本初の女ヤクザが明かす「暴力団のビジネスモデル」 へ続く
原田イチボ@HEW
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