恐ろしい感染症「天然痘」が日本で流行した“原因”とは?
■日本では1955年に根絶 江戸時代に入ってからも何度か猛威を振るったが、中期以降、様々なワクチン接種が試されている。まず1789年に、秋月藩の藩医・緒方春朔(しゅんさく)が人痘法を試して成功。ただし、それは安全性が確保されたものではなかった。次いで1810年には、捕虜となってロシアに渡った中川五郎治が牛痘(ぎゅうとう)法を学んで帰国。1824年にこの方法を用いて、田中正右衛門の娘・イクに日本初の種痘を施すなど、様々な改良と試行錯誤が繰り返された。そして、明治に入って種痘(しゅとう)法が整備され、昭和30(1955)年、ついに日本における天然痘が根絶(世界での撲滅宣言は1980年)されたのである。 ちなみに、この感染症をもたらしたとされた疱瘡神、実は姿も形も定かではない。市井に現れる時は、大抵、老婆姿であったといわれる。元の姿は不明ながらも、昨今流行りの「アマビエ」あたりをイメージしてしまいそうだ。疫病の蔓延を予言するとされるアマビエ。新型コロナウイルスの退散を祈願してアマビエの絵を描くことが一時流行ったことがあったが、その際の映像が、頭にこびりついているせいかもしれない。 ともあれ、最後に疱瘡神を祀る神社というのが存在するので紹介しておきたい。平清盛の側室・常盤御前(ときわごぜん)の娘(当時14歳)も疱瘡がもとで亡くなっているが、その埋葬の地に創建されたのが、その名もズバリの疱瘡神社(広島市)である。 また、神奈川県三浦半島の鎮守として知られる海南神社の境内社にも、同様の疱瘡神社と呼ばれる小祠がある。さらに、東京都大田区にある羽田神社には、13代将軍・家定が疱瘡治癒を祈願したことを記す「疱瘡除祈願御札の碑」が、千葉県市川市にある本光寺には、本堂に「疫病退散守護の疱瘡神」が祀られている。その他、東京都小金井市の山王稲穂神社の境内社や、北区の赤羽八幡神社の末社合祀殿の中、千葉県佐倉市の青菅稲荷神社の石造りの小さな祠が居並ぶ中にも疱瘡神社が置かれるなど、全国を見渡せば、意外にも数多く祀られていることがわかる。その多くが「疫病退散」をご利益として掲げているようだから、コロナ退治も是非、祈願しておきたいものである。
藤井勝彦