「馬上から失礼します」自己暗示で笑いを堪えた伊藤かずえ 19歳でドラマ初主演後に襲われた不安感と「通信講座で服飾を学んだその後」
80年代を彩った大映ドラマの数々に出演した伊藤かずえさん。6歳から劇団に入り芸能界で長く活躍が続くも、ドラマ初主演後には将来への不安感にさいなまれます。(全4回中の1回) 【写真】「50代で12キロのダイエットに成功」した伊藤かずえさんの現在(全9枚)
■「あの不良の人だ!」と呼ばれて ──『不良少女とよばれて』『ポニーテールはふり向かない』『スクール☆ウォーズ』を始め、80年代を彩った大映ドラマに欠かせない存在でした。振り返って当時はどんな時代でしたか? 伊藤さん:通常、ドラマはひとつの作品につき10~12話分を撮影し3か月間放映されますが、当時の大映ドラマは24話分撮影し半年間の放映。フィルムで1カットずつ撮っていくので、撮影にもかなり時間がかかるんです。しかも、半年に一度、次の作品の撮影と重なる時期があって、そのときが忙しさのピーク。物語の冒頭と終盤は、自己紹介的なセリフが多かったり、見せ場のアクションシーンがあったりと、重要な場面が多く、すごく大変だったことを覚えています。朝6時に起き、帰宅は深夜。家から撮影所まで片道2時間かかっていたので睡眠時間がたりず、移動中はずっと寝ていましたね。
── かなりハードなスケジュールだったのですね。 伊藤さん:ただ、出演者やスタッフさんは気心が知れたメンバーばかりだったので、みんなが親戚のような感じで、現場の雰囲気はすごく温かったですね。それに、鬼のようなスケジュールを乗り超えてきたおかげで、その後、どんなハードな現場に遭遇しても、「あのときほど大変じゃないな」と思えるくらい忍耐力が身につきました。 ── もともと子役出身ですから、キャリアはすでに50年になるのですね。
伊藤さん:6歳のときに児童劇団に入りましたが、なかなかオーディションに受からず、エキストラばかり。その後、10歳のときにスカウトされ、映画でデビュー。中学時代に、『水戸黄門』に出演したり、映画『燃える勇者』で真田広之さんのヒロイン役に抜擢されたりして、名前がだんだん知られるようになったんです。実は、アイドルデビューもしていて、中森明菜ちゃんや小泉今日子ちゃん、早見優ちゃんと同期なんです。小室哲哉さんに楽曲をいただいたことも。残念ながら、歌手としては、まったく売れませんでしたが、ドラマの影響で握手会などのイベントは毎回超満員。池袋のサンシャイン広場でイベントをしたときには、「こんなに人が集まったのは中森明菜さん以来だ」とスタッフさんに驚かれました。ただ、皆さん歌を聴きに来るのではなく、「あの不良役の人だ!」と見に来てくださる感じでしたけれど(笑)。