アントニオ猪木の運転手務めた“イス大王”が明かす秘話 橋本真也との伝説ケンカマッチ、全日と新日の違いも
「(師匠・猪木に)お前は誰だ?」
栗栖はそのことに触れると、多くを語らず、「橋本とそういう試合をしたってことは、コレ(度胸)があったってこと。人間っちゅうのは、いい試合・悪い試合コレよ。コレしかないんだよ」とだけ言葉を発した。 なお、試合後の橋本は控室に帰ってもそのままダウン。 一方、リング上で大の字になった栗栖は、両手でマットを叩いてリングを降りたが、その段階ですでに両目には涙を浮かべながら、「俺はお客さんの温かい心に泣けてしまった」との言葉を残して、翌日からは戦線を離脱した。 「せっかく(フリー参戦して)ギャラが上がったのにな(苦笑)。まあ、人生そんなもんよ」 そう言って栗栖は橋本戦を懐かしそうに振り返った。 再び、栗栖が猪木の運転手を務めていた頃の新日本に話を戻すと、当時の新日本は「道場幻想」で知られているほど、強さを追い求めた練習は半端ではなかったといわれている。 これに対して栗栖は、「厳しい練習は当たり前じゃん。それができなかったら辞めていくだけ、今となってはそう思う」と答え、昔の仲間について話し始めた。 「だけどキラー・カーン、木戸修さん、ドン荒川……、まさか死ぬと思わないじゃない。キラー・カーンだって(暴露話が注目されて)いろいろ言われていたけど、俺は手が合うほうだったから。ケンカもしたけど、最終的にはまたいいムードでね。人間なんてそんなもんよ。誰が性格が悪かったかって? そんなの、細かいことを言い出したらキリがない。ビックリしますよ。だからやっぱり寂しいよね」 当時、栗栖は道場の近所に住んでいた。栗栖夫人の話によると、「佐山(聡)さんや平田の淳ちゃん(淳二=スーパー・ストロングマシン)も、よく来てましたね。道場での練習を終わって、帰りしなによくウチに寄って遊んで帰ってましたよ」と話してくれた。 「だけど猪木さんは、どんなに忙しくても道場で汗を流していたよ。誰だって手を抜くけど、それでも猪木さんは最低限できることをやっていたよ。あの人のお手本を見て、俺はいい勉強になったよね」(栗栖) 最後に再び宮戸代表に登場願うと、晩年の猪木と栗栖に関するやりとりを再現してくれた。 「いやね、あまりにも猪木会長から栗栖さんの話が出るから、話している最中に『栗栖さんに電話してみますか?』って聞いたら、『連絡先を知っているのか』『知ってます』『してみろしてみろ』ってことになったんですよ。その後、僕が栗栖さんに電話して、『栗栖さんですか? ちょっと待っていただけますか』って伝えて、ケータイを会長に渡したの」(宮戸代表) もちろん、猪木はいつものように「元気ですかーッ!」と声高に口にするが、どうやら反応がなかったようだ。 「会長が『元気ですかーッ!』『元気ですかーッ!』って何度か言われて、その後に、『てめえは自分の師匠の声も忘れたのか、この野郎!』って(電話の向こうの栗栖に)言われたんです。だから僕が変わって、『栗栖さん、何を言われたんですか?』って聞いたら、『勘弁してくれよ。本物の猪木さんじゃないの! お前は誰だ? って言っちゃったよ』って」(宮戸代表) 古き良き新日本プロレスと猪木との師弟関係。それはどれだけ時間を経過しようとも、決して色褪せることはない。(敬称略)
“Show”大谷泰顕