アントニオ猪木の運転手務めた“イス大王”が明かす秘話 橋本真也との伝説ケンカマッチ、全日と新日の違いも
当時、小学生の長女が栗栖に勝った橋本真也にビンタ!
当時の新日本では、“狂虎”タイガー・ジェット・シンが全国各地の会場で暴れ回っていたが、栗栖は「タイガーとは一番手が合ったんじゃない?」と話すと、傍にいた栗栖夫人が、シンとの恐怖体験(?)を披露してくれた。 「この人(栗栖)がメキシコにいる時に、当時、生後10か月だった子どもとメキシコまで向かったんですけど、(シンと)バンクーバーまで一緒やったんですよ、飛行機が。そしたら何回もウチらの席に来て。子どもをあやしてくれるんやけど、(あまりにも何度も来るから)席に帰って! と思ってましたね」(栗栖夫人) それでもメキシコで、シンと栗栖は家族ぐるみの付き合いをしており、夜中にプールで騒いだこともあった。 「俺は猪木さんにくっついて、仕事の時はタイガーにも会ってましたよ。だから両方知ってんねん。猪木さんに習ったスタイル、タイガーに教わったスタイル。どっちも知ってるから、悩まないでやれていたってことはありましたよ、メキシコでもね」 とはいえ、栗栖には心残りがひとつある。 「メキシコではアンドレ・ザ・ジャイアントとも一緒だったことがある。だけどアンドレと一緒の店で食事をすると、アンドレはみんなの分、全部払うんだよ。だから日本にいる時には飯に連れて行って、好きに食わしてあげたかったね。お返しができなかった。唯一、俺の心残りはそれだな」 当時は新日本と全日本がマット界を二分し、激しい火花を散らしていた。両団体に参戦していた経歴を持つ栗栖は、両者の違いをどう考えていたのか。 「理屈から言えば一緒なんだよ。ただ、違いはあるよ。新日本はビシッとしてんねん、気が入って。全日本はデレーッとしているんだよな。それがいいか悪いかじゃなくて、厳しさがどっちにあったか。今はどうか知らないけどね」 また、ジャイアント馬場に関する印象について栗栖は、「俺はいい人だったと思う。だって筋を通す人だったから」と話しつつ、次のように答えた。 「(馬場さんには)練習をしないイメージがあったけど、この前、テレビで見たら練習はしてるじゃん。とくに若い頃はさせられたと思うよ。だってあの大きなカラダであんなドロップキックするぅ? 俺は馬場さんは馬場さんですごいと思うよ。まあ、女房が悪いんだよ。(旦那を)ダメにするのはね」 ちなみに栗栖といえば、今も語られる伝説のケンカマッチの経験者でもある。 1990年8月3日、後楽園ホール。43歳の栗栖と対戦したのは25歳の“破壊王”橋本真也だった。入場時、栗栖のイス攻撃で橋本が手の甲を負傷(亀裂骨折)したままリングに上がると、栗栖はシンプルに殴る・蹴るに頭突き。蹴りにしても顔面狙いの蹴り(本人いわく、チンピラキック)を繰り出していく。 試合中、激しいぶつかり合いの中、栗栖は右足のふくらはぎの筋肉を断裂。苦肉の策で急所蹴りを見舞い、場外戦に誘ったりしながら急場を凌いだが、最後は橋本による得意のDDTからフライングニールキック、さらにはジャンピングDDTを食らい、9分26秒、体固めで橋本が勝利を収めた。 もちろん両者の渾身を込めたぶつかり合いで会場は大爆発。大橋本コールの中を橋本は控室に向かったが、ここで、まさか栗栖の長女(当時、小学6年生)と出会ってしまう。 普段から橋本は彼女と仲良くしていたこともあり、バツが悪くなって、橋本がおどけた顔をした瞬間、長女は橋本の横っ面を思い切りビンタしたという。 のちに橋本は「栗栖さんの椅子攻撃より、娘さんの一撃が骨まで染みた」と語ったとされている。