イスラム国をどう見るか? イスラム差別から掃討作戦まで 黒木英充、高橋和夫、萱野稔人らが議論(4)
イスラム国の「ブランド」力
萱野:私ね、本当そこ同感です。ヨーロッパでのイスラム嫌いっていうのを見ていると、表現の自由でイスラムを差別すると。立派な建前を持ってきて、イスラムを差別するっていうのはすごくあるような気がしましたけれども、鈴木さんは、今、ヨーロッパから見たイスラム国っていう形、とのつながりっていうことですけど、イスラム国ってこれ、どう見たらいいんですか。 鈴木恵美:イスラム国も場面、場面、時間とともに変化してるので、なかなか一言では言えない、難しいんですけれども、イスラム国の本質っていうのは、イラクの民主化の失敗と、シリアのアラブの春の失敗という、アラブの固有の問題にヨーロッパでの移民問題、移民に対する差別問題ですよね。そのヨーロッパの問題が結び付いてできたのはイスラム国だっていうふうに私は理解してるんですけども。で、それがだんだんブランド化して、イスラム国っていうブランドがもう立ち上がってしまうと、それに対して共感する人が出てきて、エジプトなんかでもイスラム国のシナイ半島支部みたいなのを宣言したりだとか、そういう同時多発敵にどんどん支部が増えていっちゃうような今、状況にあるわけですよね。 萱野:なるほど。まずはイラクとシリアの国内問題があって、さらにはヨーロッパの反イスラム主義っていうものがあって、これがイスラム国を育てていったんだけれども、今やブランド化してしまったということですね。 鈴木:そうですね。 萱野:やっぱり、中東では今、イスラム国といえばちょっとかっこいいなっていうイメージがあるんですか。 鈴木:ほとんどの人はとんでもないと、あれはテロ組織だっていうふうに言ってるわけですけども、一部の、ごく一部の人にやっぱり訴えかける、アピールするものはあるみたいですね。 萱野:なるほど。そのブランドの、ブランド化した力の根本ってなんだと思います? 鈴木:やはり、そのカリフ制というイスラム地域に本来あるはずのそういう指導者ですよね。そういう存在をうたってるっていう。非常に熱心なイスラム教徒であれば、本来カリフっていうのは要るものだよねっていう意識はどっかにあるわけですけども、でも、21世紀のこの時代には無理だよねと、大半の人は思ってるわけですけれども。そこでぽっとカリフっていうのを名乗ってしまうと、一定数の人には非常に引きつけるものがあるってことですね。 萱野:いろんな支配地域の住民だとか、その欧米からの人質を殺害する映像をどんどんアップしてますよね。あれはブランド化に役立ってますか。 鈴木:どうでしょう。 萱野:メディア戦略が非常にたけてるっていうふうに日本では。 鈴木:いや、普通の人はあれを見て、いいとかっていうふうには思わないわけですけども、あれを見てブランドの価値が上がったと思う人は少ないとは思いますね。 萱野:そうですか。中東地域からイスラム国にいろんな人が参加してますけど、ああいったビデオを見て、あそこまでカリフ制を掲げてやってんだったら、ちょっと自分も血が騒ぐから行こうとか、そういう形ではないんですか。 鈴木:あくまでもカリフ制であるとか、これまでの政権が実現しなかったような政治体制であるとか、なんかしら新しさっていうか答えみたいなものですよね。今までにない新鮮さみたいなものを求めていくっていう人なんかはエジプトの事例なんかを見てると、人数、そんな多くないですけれども、やはりいますね。