バットが届けばストライク!? 巨人・篠塚和典氏“打撃の職人”の神髄 伊藤智仁氏“奪三振記録”の試合で放った伝説のサヨナラアーチ裏話
憧れの選手と首位打者争い
セカンドのレギュラーに復帰した篠塚氏は攻守にわたって活躍してレギュラーのポジションを確固たるものとし、ケガから復帰した中畑氏はファーストで起用された。この年、篠塚氏は中学時代からの憧れの選手だった阪神の藤田平氏と激しい首位打者争いを繰り広げた。先にシーズンを終えた篠塚氏の打率は3割5分6厘7毛。最終戦で規定打席に到達した藤田氏が打率3割5分7厘7毛と、僅か1厘差で初の首位打者に輝いた。 徳光: これが本当にドラマチックだよね。あのときの気持ちはどうでした。 篠塚: 僕は、藤田さんはそれまでに首位打者を取ってると思ってたんですよ。 徳光: そうなんだ。 篠塚: 生意気ですけど、僕は藤田さんに首位打者を取ってほしいと思ったんです。僕はまだ若いし、2~3回は取れるだろうっていう気持ちがあった。その思いが通じて、藤田さんが取ってくれた。 徳光: 憧れていた人と首位打者争いをしている自分…、どんな感じだったんですかね。 篠塚: 「やっぱり藤田さんのまねをして良かったな」って思いましたね。そういうバッティングを自分もやってきたからここまで来れてる、こういうふうに首位打者を争えてるっていう思いがあったので。 篠塚: 「野手は3年間3割を打てば周りからも認められる。まずは3年間3割を打とう」と思ってました。昭和56~58年に3割打てて、それで4年目の59年、「よし、じゃあ、今年は首位打者を取ろう」と、初めて狙って入った年だったんですよ。それが運良く、その年に取っちゃった。 徳光: すごいねぇ。 篠塚: 首位打者が取れて、僕はやっとミスターに恩返しができた。反対した人たちに、「取って間違いなかっただろ」って、できたんじゃないかなっていう思いがありましたね。
“打撃の職人” バットが届けばストライク!?
徳光: シノさんは、「バットが届くところはストライク。つまり、自分で振れるところはストライクだ」って、おっしゃったことがありますよね。 篠塚: ベース板よりボール1個大きく、そこがストライクゾーンだと考えてました。そこをヒットしてしまえば、バッテリーはすごく嫌だろうと。 徳光: 自分が当てられる距離にあれば…。 篠塚: もう行きますね。例えば外角低めのボールだとバットとの距離がすごくあるじゃないですか。距離があるから、ボールが多少動いてもバットを操作できるんですよ。 ボールが近くに来たときは、内側から入っちゃうから操作できない。だから、自分の感覚の中では、なるべくバットのヘッドとの距離を取る。そのために体が回ってもヘッドを残しておいて、ボールが内側に入ってきたのに合わせて出していく。 徳光: 低いボールだとどうするんですか。 篠塚: 低いボールはイメージ的にはすくい上げるようにして打ちますね。上からたたくと、どうしてもボールが下に行く。 飛ばすためにボールを当てたいポイントは、バッティングフォームの中で手が一番伸びて抜けるところなんですよ。下からすくい上げるイメージで当てていくと、ちょっと前の方で当たれば、ライトのほうへ行くし、真っ正面で当たればセンターのほうへ行くし、ボールがちょっと内側で当たれば、レフトのほうに行く。 徳光: なるほど。
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