BMW「M3」とメルセデス「190」を抑えてDTMタイトルを獲得! アウディ「V8クワトロ DTM」が約1億1000万円から販売中です
1991年、シュトゥックにシリーズランキング3位をもたらした個体
このほどRMサザビーズ「MONACO 2024」オークションに出品されたアウディV8クワトロDTMは、もともとはシュミット・モータースポーツの所属により、1991年シーズンの開幕戦、ベルギーのゾルダー戦でレースデビューを果たした個体。シャシーナンバーは「LN000049」である ディフェンディングチャンピオンのシュトゥックがドライブしたこのマシンは、第2戦でチェコットのBMWに次ぐ2位でフィニッシュし、ビエラの乗る同じマシンを抑えた。しかし、その後の4戦で3回のリタイアを喫したのち、アヴス戦におけるこのマシンのドライブは、当時は新進気鋭だったヒューベルト・ハウプトが引き継ぐことになった。 アウディが1日2戦のレースで表彰台を総なめにしたバイエルン戦では、第1レース4位、第2レース3位でフィニッシュした。その後マシンはシュトゥックに戻され、シュトゥックはノリスリンク、ディープホルツ、ジンゲンで3勝を挙げ、チャンピオンシップ3位を確固たるものとする。 しかし、アウディの1991年シーズンがまぎれもない勝利だったとすれば、1992年は苦しいシーズンとなった。序盤のチームのペースは、BMWとメルセデス・ベンツがクワトロの属するディヴィジョン1の最低重量を1300kgまで増やすためのロビー活動に成功したうえに、クワトロのクランクシャフトの合法性をめぐる抗議活動が頻発したことで、大幅な失速を強いられてしまう。 そして6月のニュルブルクリンク・ノルドシュライフェ戦におけるビエラとシュトゥックの1-2フィニッシュを除けば、ほかに特筆すべきリザルトは少なく、アヴス戦でのシュトゥックの6位は、シャシーナンバーLN000049にとって最後の重要なリザルトとなった。 実際、当時の政治的状況はアウディにとってあまりにも不利だったこともあって、アウディのワークス系2チームはシーズン半ばに撤退。結局ニュルブルクリンク戦は、アウディのスワンソングの象徴となってしまった。
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