なぜ浦和レッズの新星GK鈴木彩艶はイニエスタを止めることができたのか…デビュー以来3戦連続無失点は26年ぶり快挙
3月に日本代表へ復帰している34歳のベテラン、西川周作に代わってリーグ戦初出場を果たしたのが9日のベガルタ仙台戦。以来、16日のガンバ大阪戦、そして神戸戦とすべてクリーンシートを達成した彩艶は、黎明期に樹立された大記録をも蘇らせた。 J1リーグ戦のデビューから3試合連続で無失点をマークしたGKは、29年目を迎えた長い歴史で過去に一人しかいない。清水商業高(現清水桜が丘高)から横浜マリノス(当時)に加入して2年目の川口能活が、1995年4月26日の柏レイソル戦を皮切りにサンフレッチェ広島戦、清水エスパルス戦で達成して以来、実に26年ぶりとなる。 2002年8月生まれの彩艶は、当時の川口の勇姿をリアルタイムで見ていない。それでも日本サッカー界の歴史に大きな足跡を刻み、GKというポジションに新たな価値観を加えた先駆者のキャリアを自分なりに頭に入れているのだろう。 神戸戦後には「意識はしていませんでしたけど、そういう記録に並べたことは素直に嬉しく思います」と笑顔を浮かべながら、川口の背中へ視線を向けている。 「川口さんも若いころからレギュラーとしてプレーされていた。自分としても若いからどうこうではなくて、もっと落ち着きをもってプレーできるようになりたい」 1995シーズンの川口はそのままマリノスのレギュラーに定着。宿敵ヴェルディ川崎とのチャンピオンシップを制してマリノスを初めて年間王者に導き、日本が28年ぶりに五輪の舞台に立った翌年のアトランタ大会ではU-23日本代表の守護神として、王国ブラジル代表を1-0で撃破した「マイアミの奇跡」の立役者にもなった。 そして彩艶もまた、アトランタ大会からつらなる五輪の系譜に名を連ねるチャンスを実力で手繰り寄せた。日本サッカー協会から20日に発表された、東京五輪世代となるU-24代表27人の一人として、いわゆる“飛び級”で初めて招集されたからだ。 U-24代表は6月5日にU-24ガーナ代表(ベスト電器スタジアム)、同12日にはジャマイカ代表(豊田スタジアム)と国際親善試合に臨む。オーバーエイジの3人を除いた東京五輪本番の代表枠は「15」で、そのうちゴールキーパーは「2」しかない。