AKB48 17期生畠山希美「コロナ禍の自粛期間がなかったら、アイドルになっていなかったと思います」【連載 なんで令和にAKB48?】
――スポーツはやってたんですか? 畠山 小学生の時は水泳を習ってました。特に大会を目指していたわけとかではなかったんですけど、小学校の大会では「速いね」ってホメられるぐらいの感じでした。 ――運動神経はそんなに悪くないと。外で遊ぶタイプだ。 畠山 ドッジボールをしたり、鬼ごっこしたりしてました。同級生の女のコはオシャレなコも多くて、「好きなブランド何?」とか聞かれちゃって。そういうのがわからなかったから、外で遊ぶ方に混ぜてもらってました。 ――小学校から女のコはそういう話になるんですね。 畠山 洋服を汚したら怒られるんだ~みたいな。私は洋服が汚れてしまっても夢中で遊んでました(笑)。兄のお下がりを着ることが多かったからかもしれないですけど。 ■寝てたら「AKB48に受かったよ」って起こされました ――委員会とかやりました? 畠山 小学校が体育委員で、中学校では放送委員やってました。体育委員は準備体操をみんなの前でしたり、フラフープやボールを倉庫から出したりとか。 ――放送委員はやっぱり人前に出るのに憧れて? 畠山 いや、中学で剣道部に入ったんですけど、稽古が厳しくて。でも委員会に入っているとたまに会議や、帰りの放送をしなきゃなので、練習を休めるんですよ(笑)。 ――そんな理由で(笑)。そもそも剣道はなんで始めたんですか? 確か初段を持ってるんですよね。 畠山 もともと卓球部に入ろうとしてたんですけど、部活動見学で剣道部へ行ったら、顧問の先生が普段通りの指導をしていて。見学の時だけ優しい場合とかあるじゃないですか。でもここはいつも通りで、普通に怒ってたり、信用できるなって。 それと女子の先輩がひとりもいなかったんですよ。先輩がいないから、いろいろ自分たちでできるかなって。それで、私たちの代は女子が6人入ったんです。 ――やってみてどうでした? 畠山 楽しかったです。でもキツい部分もあって、とにかく練習量が多かったんですよ。ずっと剣道をやっていた先生で、何か失敗すると素振りをやらなきゃいけなかったり。 ――辞めたいとかならなかった? 畠山 そう思ったこともあったけど、ちゃんと話は聞いてくださる先生だったので、やりやすかったです。 ――大会とかはどうだったんですか? 畠山 団体戦は地区で3位で、個人戦では中2で2位になったことがあります。本来、2位までは県大会へ行けるんですけど、コロナで大会の規模が縮小されて、残念ながら行けず。 ――委員会でサボりたいみたいなことを言うから、弱いと思ってたら、強かったんですね! 畠山 私の地区は初心者ばっかりだったんですよ。でも1位は経験者ですごく強かったです。