エイズとデルタのメモワール(回顧録)~パームスプリングス(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第62話 「日本から世界とたたかう――」。そんな筆者の反骨(?)精神がもっとも発露したのが、2021年夏の、新型コロナウイルス「デルタ株」の研究のときだった。 * * * ■反骨精神の結晶・デルタ株論文 G2P-Japan誕生のきっかけのひとつとなる、エイズウイルス研究時代から脈々と続く反骨精神というか、「(日本から)世界とたたかう」という姿勢については前編でも紹介したところである。それがいちばん発露したのは、2021年の夏、新型コロナウイルス「デルタ株」の研究のときだったと個人的には思っている。 私の記憶が正しければ、ホテルにこもって論文執筆に集中する、いわゆる「カンヅメ」(16話)を初めて敢行したのも、この論文をまとめる頃だったと思う。 2021年の春に出現し、インドで流行拡大し、世界中に拡散したデルタ株。当時のニュースでは、今思い返せば現実とは思えないような、インドでの惨状が繰り返し報道されていたように記憶している。 ――「デルタ株の正体とは?」 それが当時のいちばんの社会的関心事であった。研究成果をプレプリント(査読前論文)で発表すると、それがツイッター(現X)でバズり、世界中から反響があった。また、その情報を元に、テレビからの取材依頼も多数受けることになった。民放のニュース番組の中で、初めて「G2P-Japan」というテロップが踊ったのもこの頃だった。 2021年始めのG2P-Japanの処女作(6話)の頃は、とにかく目の前のことをこなしていくことで精一杯だった。しかし、東京オリンピックを控えたこの頃には、現在のG2P-Japanを形作るコアメンバーも集結しつつあった時期でもあり、まだ手探りではあるけれど、本当の意味での「コンソーシアム」としての取り組みが始まった頃であったように思う。
G2P-Japanの当時のSlackには、実験結果の報告だけではなく、必要な検体の共有の相談や、それをいかに祝日やゴールデンウィークを避けて効率よくスムーズに授受するかなどといった、それぞれが活発かつ能動的に、実務的なやりとりをしていた痕跡が残っている。 東京・目黒の安宿に「カンヅメ」してまとめたデルタ株の論文は、デルタ株のコードネームである「B.1.617.2」にちなんで、6月17日にそのプレプリントを公開した。その後、東京オリンピックの開幕前日である7月22日に、最高峰の学術雑誌のひとつである『ネイチャー』に投稿した。 学術論文の審査の仕組みについてはこの連載コラムでも解説したことがあるが(29話)、学術雑誌に投稿された論文は通常、「レビュアー」と呼ばれる審査員のもとに送られ、査読・審査を受ける。 しかし、最高峰の雑誌である『ネイチャー』などの場合、投稿された論文の大半は、「レビュアー」のもとに送られることすらなく、「審査する価値なし」の判断を受けてすぐに返却される。最高峰の学術雑誌とは、そのくらい敷居が高いのである。