エイズとデルタのメモワール(回顧録)~パームスプリングス(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
■「攻めていこーぜ!」 そんな『ネイチャー』に投稿したデルタ株の論文であるが、無事「レビュアー」へと送られ、査読された。そして、東京オリンピックの閉幕から1週間ほどが経った8月19日、「リバイス(改訂依頼)」を通達するメールを受け取り、武者震いを覚える。こうなればあとは、「レビュアー」に指摘・要求されたことに、ひとつひとつ答えていくだけである。 「リバイス」と呼ばれる修正原稿をまとめていた頃のことは、実はあまりよく覚えていない。「あとひと押しで、あの『ネイチャー』に論文を載せることができるかもしれない」という高揚感と緊張感が入り混じった時間だった。 「ここまできたのに、もしダメだったらどうしよう」と不安に駆られたり、「まあもしダメでも、命まで取られるわけじゃないし」とひとり鼓舞したり。それらをひとりで堂々巡りしていたように思う。 つまり、私や熊本大学のI、宮崎大学のSにとっては、アメリカ・コールドスプリングハーバーの研究集会に毎年のように通い、エイズ研究に従事していた頃から夢に見ていた、「世界とたたかう(53話)」状況となったわけである。 このときのこの感覚は、エイズ研究からG2P-Japanに参入した私たち3人だけではなく、北海道大学のF、東海大学のN、広島大学のIら、当時のG2P-Japanのコアメンバー全員が共有していたと思う。 日本からでも、みんなで力を合わせれば、世界と充分にたたかえる――。 それが質感を伴って掌の中にあり、それをみんなで共有していた。オンラインでのやり取りではあったけれど、それでもみんなの本気の意識はひしひしと伝わってきていたし、それが当時の私の原動力になっていた。
この頃は、斉藤和義の「攻めていこーぜ!」だけをひたすらヘビーローテーションしていた。その理由は、もうひとえにその歌詞にある。それをここで引用できれば良かったのだが、そうすると歌詞全文をここに載せなければならないくらいに当時の私の心情を描出しているので、もし興味があれば、ぜひネットで調べてみてほしい(そして、もしできることなら、この曲を流しながら、今回のコラムを読み返してみてほしい)。 「デルタ株とは?」という一般社会からの期待に応えるために奔走し、SNSを通して世界から注目を浴び、G2P-Japanのみんなで一丸となって取り組んだ10日間だった。 8月30日、すべての改訂を終えた論文を『ネイチャー』に再投稿した。緊張が解けたからなのか、みんなでひとつになってなにかを成し遂げることができたという達成感からなのか。投稿を終えた後、自宅のベランダで、タバコを吸いながらひとり涙したことを覚えている。 投稿した論文はかくして、9月28日、『ネイチャー』にアクセプト(採択)された。G2P-Japanとしてはもちろん、私個人としても初めて『ネイチャー』に発表した論文となった。