伝説のモデル・山口小夜子の美容論「日本人は目が細いのが欠点と思いがちだけれど、それは欠点ではなく特徴だと思うのです」【前編】
ファッションの街・パリでコレクション・モデルとしてデビューし、1シーズンに十数件のショーを掛け持ちするなど、文字通りのトップモデルとして活躍した山口小夜子さん。 【写真】資生堂の広告はあまりにも有名…写真家・横須賀功光が写した、伝説のモデル・山口小夜子の美の世界(写真6枚) モデル・俳優の冨永愛は「もっとも尊敬する存在」と公言し、マツコ・デラックスは美の化身と絶賛。亡くなって15年以上が経ついまも多くの女性がそのファッションやメイクに憧れ、模倣しています。東京都現代美術館の「山口小夜子 未来を着る人」展覧会(2015年)には5万6000人もの人が来場しました。 また山口小夜子さんは、印象的な言葉を数多く残した人でもありました。生前に残した多くのインタビューを再編集した新刊『この三日月の夜に』から、今回は独自の美容法と健康法について語った部分を抜粋・再構成。前・後編で紹介します。 山口小夜子 Sayoko Yamaguchi 横浜市出身。幼いころからファッションに強い興味を示し、高校卒業後杉野学園ドレスメーカー女学院に学ぶ。170センチの長身とスタイルの良さから、ファッションモデルになるよう勧められる。1970年代はじめからモデルとしての活動を始め、瞬く間に世界のトップモデルへの道を駆け上がる。山本寛斎、髙田賢三、三宅一生ら日本人デザイナーのほか、イヴ・サンローラン、クロード・モンタナ、ティエリー・ミュグレー、ジャン=ポール・ゴルチエなどトップデザイナーの「ミューズ」として数々のショーに出演。アメリカのロックバンド、スティーリー・ダンの名盤『彩(エイジャ)』のジャケットを飾るなど、世界に知られる存在となった。また、パフォーマーとして寺山修司作品や山海塾との共演など多数の舞台に出演した。創作舞踊家・勅使川原三郎と共演し、ダンサーとして印象的な舞台をつくり上げた。舞台衣裳やアクセサリーを自らデザインするなど、表現者として多面的な才能を示した。2007年8月、急性肺炎で急逝。 k
朝晩のスキンケアは“ごく普通”。疲れた時は手を抜くことも
私の肌は荒れたり化粧品にかぶれたりすることのない普通肌です。ですから、特別変わった手入れはしていません。以前、日本酒がいいと聞いて化粧水代わりに使っていましたが、特に変わったこともなかったので、いつのまにか普通の方法に戻りました。 朝はクレンジングフォームを手にとり洗顔し、化粧水をパッティングします。仕事に行くときはその後に下地クリームをのばしてからファンデーションをつけます。ファンデーションの種類は季節によって変えます。冬はパウダリィファンデーション(資生堂・グレイシィ)、夏はビューティパクト(資生堂・サンフェア)を使いますが、仕事のときはしっかりお化粧するのでいつもスティック状のファンデーションです。 夜は、まずクレンジングクリームで化粧を落とし、化粧水で拭き取り、クレンジングフォームで洗い、化粧水をつけ、栄養クリームをのばして寝る、というのが普通のコース。栄養クリーム以外に、いつものんでいるビタミンEのカプセルを割ってそのオイルをつけることもあります。 ときどき、忙しかったり疲れすぎていたりで手を抜くことがあります。そんなときは、クレンジングクリームで化粧を落とし、ティッシュペーパーで軽く拭いた後、ウェットティッシュを使ってきれいに拭き、さらに化粧水で拭いて栄養クリームなり乳液なりをつけて寝ます。(小夜子の魅力学 1983年3月13日)