「ホームスクーリングでもちゃんと大人になれた」東大研究員が語る少年時代
━━一般的じゃないキャリアが逆に評価された たぶんそうだと思います。僕の面接をしてくれた人が卒業してから言ってくれたのが、「受けてきたときに、最初に採ろうと思った」と。アメリカ出身の先生なんですけど、AO入試はそういう人を採るためのものだから、選考のときに何人かのリストの中から「こいつは絶対にいれたほうがいい」って言ってくれたそうです。 ━━スムーズに合格できたとはいえ、学校をずっと拒否してきた中、やっていけるか不安はなかったのか 当然ありましたし、入ってしばらくは、高校が終わってストレートに入ってくる人が9割ぐらいなので、高校の部活はどこだったとかで全く話についていけなかったんです。でも幸いなことに留学生グループと一部の僕みたいな人がいて仲良くなって、1学期が終わるぐらいになったら、みんな高校生っぽさも抜けて落ち着いてきて、友人もできました。開学したばっかりで200人ぐらいしかいないのも良かったです。1年生は寮生活ですし、みんな顔見知りになる感じでした。 ━━ホームスクーリングって協調性が育たない、と言う人もいるが 僕は、留学していたときも寮に入ったり、ホームステイしていたので、協調性がなくて困ったことはなかったですね。学校に行っていないことの問題はなかったです。 ━━大学に入って「学問の風」は感じたか 感じられました。国際教養大学は授業が英語で、課題もすごくたくさん出るので、文章を読むのとかすごく時間がかかるんです。でも図書館が24時間あいているので、授業が終わって図書館に行って、自分の場所を確保して、いつまででも課題をやれる。すごく充実した気持ちでした。
ホームスクーリングを経て今思うこと
工藤さんは国際教養大学卒業後、同大の大学院に進学。研究者を志して、2010年に東京大学大学院に進学し、現在に至っている。紆余曲折を経て、東京大学の研究員となった工藤さんは、今自分の学び方をどのように思うのだろう。 ━━一般的なレール以外を歩んだメリットとデメリットは 最初はそんなに積極的に今のキャリアパスを選んできたのではなくそれしかなかったと思います。自分がやりたいようにやってこれたことは良かったです。デメリットは、違うことをやっているがゆえに余計に説明しなきゃいけないとかでしょうか。興味を持ってそれってどういうことって聞かれることのほうが多いんですが。 ━━協調性や我慢する気持ちが養われないとか、出席日数なり進学で不利、それが挽回できなくて苦労したという人もいるようだが 個人的にはそう感じてないですね。全くないと思います。ただ、僕が付き合っている人が偏っているとは思います。研究職っていう仕事がそうだと思うんですけど、一般に会社に入って過ごしていくと、たぶん自分の考えと近くない人もいるだろうし、学歴で相手をみる人もいるだろうし、そういうときには不利な気もします。でも世の中いろんな仕事があるので、そういう仕事を選ばないことはできますよね。ホームスクーリングをやる人は、黙っていてもそういうところにいかないんじゃないでしょうか。たぶん個性は強いと思います。でも協調性がないわけではないです。普通の定義が違いすぎるんですよね。例えば、もうすぐ大学卒業と聞くと22歳って思うじゃないですか。ホームスクーリングの人は、そういうことを思わないです。これだからこれっていう普通がずれるので、前提が合わなくて、話がかみ合わないというのはあります。でもそれが協調性がないという説明をされるとちょっと違うと思います。 ━━今、ホームスクーリングをしている人や、しようと思っている人もいると思うが、学校や教育委員会はどんな対応が必要か 多様な生徒がいると認めてほしい。ただそれだけだと思います。学校に行く人もいるしそうじゃない人もいる。学校って方法じゃないですか。でもそれがいつの間にかゴールになっている。親は教育を受けさせる義務があって、子供には受ける権利がある。どっちを大事にするか。僕は子供の権利のほうが大事な気がします。僕の親は義務を履行したと思うし、僕は教育を受ける権利を行使できたと思う。学校を介さないと義務を果たせないし、権利を使えないっていうのがおかしいと思います。学校は方法だから。別の方法がいくつか横に並んでいて、どの選択肢をとっても義務を果たせるし、権利を使える状況じゃないと本当はいけないと思います。 実際、大検みたいな制度はずっと前からあるわけじゃないですか。多様なパスっていうのは最初から実はあって、東大の先生をみてもそういうキャリアの人はいっぱいいる。あんまり認知されてないけど、否定されなければ、勝手に学んでいけます。 ━━学校に行かないことを認めると、学校という制度が崩壊するという人もいる 別の要因でいずれ学校が成り立たなくなると思っています。例えば、私がフィールドにしている秋田県の五城目町では今年度に生まれた赤ちゃんが32人です。将来的に出生数が減っていけば、いずれは学校が成り立つ規模が確保できなくなります。学校の統廃合が進んでいる地域で、五城目もいずれ小学校がなくなれば秋田市まで通わないといけないと。こういうことがこれから20年ぐらいの間に出てくる。そのときに毎日そこに通わせるんじゃなくて週の半分は五城目にいて、半分は学校に行くというのがスタンダードになっていく。学校という仕組み自体が今の社会のあり様に合わなくなっている側面はあると思います。 自分はこういう形しかできなかったと思うので、他の人と違うからすごいでしょ、とか、もっと知ってくださいという気はないです。でも、大切なのは否定されないことだと思うので、世の中に1%ぐらいこういう人がいたとして、その人がいられる社会になってほしいと思います。 (取材・文/高山千香)