「ホームスクーリングでもちゃんと大人になれた」東大研究員が語る少年時代
━━そこから勉強をする方向には向かったのか 向かいました。自分でもこれはまずいなと思うし、なんとなく同級生と比べて遅れていく感じがあるわけです。生活のリズムも乱れていて、本を読んでいて、午前3時、4時まで起きていて、昼頃起きてくるとかざらだったんですね。それで生活を整えるためにも、2年生の後半に親が週1回、地元の学習塾に行くよう勧めてきて、塾で勉強するようになりました。2時間決まった時間、そこに行ったら渡されたプリントやテキストをやるスタイルで、わからなかったら先生に聞く。校長室に登校できるようになってからも、塾で教えられたやり方でやってた感じです。 ━━勉強する意味は見つけられたのか 塾に行き始めて、半年ぐらい経って、自分で学んでいくやり方が身につく中で、僕なりの答えがなんとなく見つかりました。勉強は畑を耕すみたいなことなんだな、と。いい状態の畑っていうのは土の中にミミズがいたり、水分がしっかりあったりする。いい土壌がないといい作物が育たない。一生懸命勉強して、大学に進むといい就職ができるというのは、全部表土の上の話ですが、なりたいものがわからなかったり、疑問を持っていてもよくて、まずは端から端まで、くまなく耕したらいいんじゃないって思ったんです。 ━━勉強する意味は見つけられたのに校長室登校だったのはなぜか やっぱり教室という空間が、場として違和感があって。授業中はただ座っていればいいが、10分、15分の休み時間に何をしたらいいのかもわからなくて。塾に行きだしてから、自分で勉強するパターンを作っちゃったので、別に教科書のことがわからないわけじゃないし、試験を受けると普通に点数がとれたので、このままでいいかなと思いました。ただ、当時は、こんなに自信満々には思ってないですよ。すごい劣等感の塊だったと思います。教室にみんないて、自分はそこに入れなくて、だけど塾に行きながらやっているというのがものすごく疎外感があるじゃないですか。だから、みんなの登校が終わってから誰にも会わない時間に学校に行って、校長室で2時間ぐらい過ごしてお昼前に帰るとかしていました。