旧財閥株など買い占め戦後に資産爆増、長者番付に 近藤荒樹(下)
鐘紡株の教訓活かし日魯株で大きな儲け
週刊誌が取り上げるほどの巨利を博すのは、日魯(にちろ)漁業の株を掘り当てたからだ。日魯は日ごろから金繰りに窮し、近藤のお得意さんでもあったが、ある時から「金なら間に合っているよ」と断られるようになった。資産内容を調べると、金融は至って良好。そこで近藤は日魯株を1株22円前後で約1万株買い込んだ。見込みは的中、150円まで高騰していった。かつて新鐘を深追いして大火傷した苦い経験があるだけに、この時は90円前後でそっくり手放した。それでも70万円の大儲けである。 新鐘の敵(かたき)を日魯で取った近藤だが、最も好んで手掛けたのは新東(東京株式取引所新株)だった。「兜町盛衰記」(長谷川光太郎著)はこう記している。 「根がインテリ型ですから、昔の相場師にありがちな勝負師そのものという感ではありませんでした。同じ新東をいじりながらも、経済の大勢をよく見極めて、ここが底だと思えばナンピン(※)で食い下がり、利が乗れば買い玉を増やして、天井が近いとみると、買い玉を全部利食い……結局下げ相場をも取るといったやり方です。莫大な資産にモノを言わせて、相場の波動に乗って悠々と楽しんでいるようにも見受ける」 (※)ナンピン…買った株価が値下がりした際、さらに買い増しして平均の買い付け価格を下げること。
旧財閥などの株を買い、大戦後に資産増殖
大正9(1920)年に丸ビルで開業して以来、幾多の有為転変を経ながら金融の世界をたくましく泳いできた近藤の資産が爆発的に膨らむのは、第2次世界大戦後である。 戦後の財閥解体で小間切れにされた株や旧華族たちが生活苦から手放した株を片っ端から買っていった。近藤が金を持っていることを知っている大手証券会社は、近藤のところにせっせと株の話を持ち込んだ。日本経済は必ず立ち直ると見て、近藤は喜んで買った。 近藤はその株を長期にわたり持ち続けた。やがて増資に次ぐ増資で幾何級数的に増殖すさまじく、雪だるま式に増えていった。ジャーナリスト水野清文がその著「現代の相場師」の中で書いている。 「彼は金融の動きから相場観測をやるが、的を射ており、そういった面からも近藤商事詣でが繰り返された」