旧財閥株など買い占め戦後に資産爆増、長者番付に 近藤荒樹(下)
長男が池田元首相の長女と結婚、種々の勘ぐりも
丸ビル将軍にチョーチンを付ける付和雷同派のことを世間では“丸ビル筋”と呼んだ。また近藤の長男・荒一郎と池田勇人元首相の長女・直子が結婚している関係から、近藤の一挙一動が政府筋の極秘情報を先取りしたものではないか、などと勘繰られたこともある。雑誌「実業之世界」に「池田はナゼ金に困らないか」といった記事が出たり、近藤の挙動が色眼鏡で見られたりするのは、やむを得なかった。 「所得倍増計画」の池田と日本経済の前途に対しカンカンの強気の近藤は共に “ブル(牡牛=おうし)”――。傍目を気にしないその鼻っ柱の強さは広島県人特有のものかもしれない。 昭和50(1975)年当時、近藤はすでに米寿に近いが、兜町の評価は至って高かった。前出の水野は書いている。 「かつての“当たり屋”、そして“日本一の金融王”、それから“相場の神様”として今なおまかり通っている。不動産、銀行預金、有価証券の三分法に徹している。彼の資産は数百億円、いや億も四ケタの数字ではないか。人生経験を十分に生かして、慎重に着実に稼いでいこうというのであろう」 そして10年経った昭和61(1986)年6月11日、昭和バブル景気が盛り上がり始めた頃、97歳の大往生を遂げた。 =敬称略