考察『光る君へ』24話 まひろ(吉高由里子)に忘れえぬ人がいても「まるごと引き受ける」宣孝(佐々木蔵之介)の大人の余裕と包容力!
乙丸の思い
乙丸「あの時……わたしは何もできませんでしたので」 ああ。第13回レビューで乙丸の思いを想像して書いたが、やはりそうだった。まひろの母・ちやは(国仲涼子)が惨殺されたとき、その場にいたのに何もできなかったことを、ずっと悔やんでいた。それからは、まひろだけは守ろうと密かに誓ったのだ。 細身で非力でも姫様に危険が及べば、どんなに強い相手にでも立ち向かう彼の姿を見てきた。乙丸の思いに胸打たれる。 まひろ「こんなにずっと近くにいるのに、わからないことばかり」 大切に守られている人間は、そのことに気づけないものだ。
内親王を宣言した意味
体調回復した女院・詮子を見舞った一条帝がきっぱりと言う。 「(定子との間に生まれた)姫を内親王といたします」 親王は天皇の息子、内親王は天皇の娘が受ける称号だ。大化の改新を契機に律令制が整い、天皇の子女は王・女王(皇子・皇女)と表記されるようになった。その後、天皇の子が数多く生まれた平安時代初期に「親王宣下(しんのうせんげ)」という制度が生まれ、天皇の宣旨で親王・内親王の称号が授けられた(現代の皇室典範に親王宣下はなく、天皇の二世孫までは親王・内親王、三世孫からは王・女王)。 親王宣下を受けない子は姓を賜り臣籍降下したが、中には宣下も臣籍降下もなく、王・女王のままの子女もいた。後白河天皇の子である以仁王がそうした人物で、彼は過去の大河ドラマでたびたび登場している。『平清盛』(2012年)では柿澤勇人、『鎌倉殿の13人』では木村昴が演じたのが記憶に新しい。『平清盛』をご覧になっていた方は、以仁王の養母・八条院(佐藤仁美)が彼に親王宣下を賜るよう運動していたことをご記憶かと思う。 一条帝が娘の脩子(ながこ)を内親王とすると、女院・詮子と左大臣・道長に言い切ったのは、たとえ定子の実家・中関白家が没落しようとも、脩子の立場を宙ぶらりんにはしないという意志表示である。
職御曹司の場所
姫を内親王とするだけでなく、出家した中宮・定子を内裏に呼び戻すと決めた一条帝…… 「波風など立っても構わぬ」という帝の言葉だが、朝廷の公卿たちの心が帝から離れ、政に支障が出て世が乱れることを道長は憂う。 蔵人頭である行成(渡辺大知)が、中宮・定子を迎え入れる場所として提案した職御曹司(しきみのぞうし)とは、内裏の東に隣接した中宮職の一局である。皇后・皇太后・太皇太后など「后」に関する事務を扱う所なので、中宮・定子とは無関係ではない上に、天皇が暮らす内裏の外側だ。定子が元々いた登華殿、現女御である義子と元子のいる弘徽殿、承香殿とは二重の壁と門を隔てた場所にある。 「それでしたら、他の女御様がたのお顔も立ちましょう」 という行成の言葉は、そういう意味だ。他の妻たちと帝が暮らす居住空間には戻らせず、あくまでも后関連の事務所的なところを提供するだけ……こんなイメージだろうか。 ちなみに『枕草子』第49段には、職御曹司での藤原行成と清少納言の交流が描かれる。職御曹司を提案するのが行成というドラマの流れに、古典文学ファンとしてニヤリとする。