考察『光る君へ』24話 まひろ(吉高由里子)に忘れえぬ人がいても「まるごと引き受ける」宣孝(佐々木蔵之介)の大人の余裕と包容力!
定子のもとに通い詰める
定子に早く会いたくて小走りになる一条帝。第11話で詮子に、 「走ったりしてはいけません。いつも悠然としていなければ」 と教えられて以来、ずっと悠然、泰然と振舞ってきた帝が。愛が伝わる……。そして、ついに定子と再会、娘・脩子と初対面。一条帝からねぎらいの言葉をかけられた清少納言(ファーストサマーウイカ)も感無量だ。こちらも泣いてしまう。 ナレーション「一条天皇は政務もなおざりで連日定子のもとに通い詰めた」 こそこそ悪口をいう内裏の女房たち、「前代未聞・空前絶後・世にためしなし!」と憤る実資。 実資の日記『小右記』には「中宮が職御曹司に参られた。天下は感心しなかった」とあるので、やはり髪を下ろした中宮が帝のお傍近くに戻ってきたことに、非難の声が上がったのだろう。 「一条天皇は政務もなおざりで連日……」は『源氏物語』光源氏の父帝と、母・桐壺更衣のエピソードから着想したドラマ演出としてのナレーションと思われる。
親友への思い
まひろの親友・さわ(野村麻純)の死。 行きめぐりあふを松浦の鏡には誰をかけつつ祈るかとしる (巡り巡って、また逢えることを待っているのです。松浦(まつら)の鏡の神様は誰のことを願いかけて祈るのか、ご存じなのでしょう。あなたとの再会です) 『紫式部集』では、さわのモデルと思われる筑紫の君から紫式部の歌への返歌として記されている歌である。 紫式部が筑紫の君に送った歌は、 あひみむと思ふ心は松浦なる鏡の神や空に見るらむ (私があなたに逢いたいと思う心は、松浦の鏡の神様が空からご覧になっています) 松浦の鏡の神とは、肥前国松浦に鎮座した鏡神社のこと。現在も佐賀県唐津市鏡に地名と共に残り、尊崇を集める。 まひろの「この歌を大切にします」という台詞。 紫式部は、自選集である『紫式部集』に筑紫の君とやり取りした歌を記し、『源氏物語』には、都から筑紫にゆく姫・玉鬘を描いた。 娘時代を共に過ごした親友への、紫式部の思いを感じ取ることができる。