余白が幸運を呼び込む
2024年5月、4年3ヵ月にわたるバンコク駐在を終え、東京に帰任しました。タイ拠点長としての4年間は、ASEANにビジネスを展開していくチャレンジの連続でした。バンコクを離れることが決まったときには、メンバーとともに積み上げてきたものを手放したくないという想いにもなりましたが、今はそのことが少し昔のことのように思えています。 帰国して約1ヵ月。久しぶりの家族との生活です。大好きな焼き魚、新鮮な野菜、温泉ランドに旧友との再会。ゆっくり自分の生活を取り戻しています。 そんな中で、バンコク駐在時に始めたウォーキングは帰国後も継続しています。先日、妻と話しながら歩いているときのことです。妻が言いました。 「最近、人気ヨガ講師の主催するクラスに通い始めたのだけど、次々と説明されるので情報量が多くて疲れてしまう」 妻の話を聞きながら、以前上司から言われた言葉を思い出しました。
パンパンにつまったクッキーの缶
バンコクで開催したあるイベントの後でのことです。 練り上げた計画にそってイベントを進行し、ご参加いただいた皆様から「本当に来てよかった」と数多くのコメントをいただきました。成功裡に終わったと胸をなで下ろしながらも、次に向けての改善点を上司に尋ねました。すると上司が言いました。 「望月さんは、全体にもっと余白がもてるようになるといいね」 イベントは成功し、お客様もメンバーも喜んでくれていたので、上司が何を言っているのか、最初はピンと来ませんでした。 しかし上司の 「クッキーがパンパンにつまった缶詰のよう」 という言葉を聞きながら、自分がイベントのスケジュールからメンバーの動き方まできっちり計画を立て、メンバーにも細かく説明や指示をしていたことに思い当たりました。 私は仕事を進める時に、相手が隅々まで理解できたほうが協力しやすいだろう、誤解による手戻りもないだろうと、背景や理由を詳しく説明することは大事なことだと思っていました。それは、これまでの社会人経験の中で叩き込まれてきたことで、ビジネスパーソンとしては当然のことだと考えていました。 いまでもそれは大事なことだと思っています。しかし一方で、自分が中心となって計画を立てたり、説明をしすぎたりすると、私とともに仕事をする人が自由に考える機会を失ってしまうことにもなりかねない。今回のイベントは成功したけれど、もしもっとメンバーが、計画や行動の意味を考える時間をもつことができていたら、さらによいイベントになった可能性もあります。お客様にももっとゆったり楽しんでいただけたかもしれません。そんなふうに思いました。 辞書で「余白」と引くと、「字や絵などがかいてある紙面で何も記されないで白く残っている部分」とあります。 頭や心に余白があるとき、私たちは自分なりに情報を嚙み砕き、体内に巡らせることができます。そうした余白の時間こそが学習や成長を促す時間であり、自分なりの物語を紡ぐ時間なのかもしれません。 誰かの成長を促したいと心から思うのであれば、教えたり伝えたり覚えてもらったりするだけでなく、相手が自分で咀嚼し、意味をつくり出す機会を意図的に与える必要があるのかもしれない。余白がなければ、自分の物語をつくりだしていく楽しさを味わうことはできないのかもしれない。そのときの上司からのフィードバックは私の心に残り続けました。