自民裏金、終わらない不正と制度改正の「いたちごっこ」 自浄能力に疑問符、政治不信払拭の解決策とは?
リクルート事件を機に、政治改革の機運が高まった。自民党は1989年5月、「政治改革大綱」を策定。「政治とカネ」問題は「政治不信の最大の元凶」だと明記し、原因として自民党の派閥や、当時衆院選で採用されていた中選挙区制を挙げた。その上で、派閥解消や小選挙区制を基本とした選挙制度改革をうたった。 政治改革の議論は与野党で進んでいった。一方、派閥解消は実現しない状況が続いた。 ▽佐川急便事件:「政界のドン」失脚、自民は初の野党転落へ 政治改革が議論されていた時期に発覚したのが佐川急便事件だ。「政界のドン」と言われた自民党の金丸信元副総裁の失脚につながった。 1991年、佐川急便グループの「東京佐川急便」から指定暴力団稲川会系企業などへの不正融資が表面化した。これに関連して1992年、佐川急便側から自民党の金丸氏への5億円に上る闇献金が発覚。金丸氏は副総裁を辞任した。東京地検特捜部は9月、金丸氏を政治資金規正法違反で略式起訴し、東京簡裁は罰金20万円の略式命令を出した。10月に金丸氏は議員辞職した。
なお、1993年3月、金丸氏は巨額の所得税を脱税したとして、所得税法違反容疑で逮捕されている。関係先からは金塊などが押収され、国民に驚きが広がった。 金丸氏の議員辞職を機に、自民党内で政治改革への態度を軸とした対立が顕在化した。1993年6月、宮沢内閣の不信任決議案が提出されると、当時自民党にいた小沢一郎氏らが賛成し、可決。宮沢氏は衆院を解散したが、過半数割れの敗北を喫した。その結果、日本新党や、自民党を離れた小沢氏らが結党した新進党などの連立による非自民の細川護熙政権が発足。自民党は1955年の結党以来、初めて野党に転落した。 ▽日歯連の闇献金事件:迂回献金も問題に 細川政権下の1994年、政治資金の規制強化や、選挙制度改革を含む政治改革関連法が成立した。政治家個人への企業・団体献金は禁止され、その後、政治家の資金管理団体への企業・団体献金も禁止となった。企業・団体献金は政党、政党支部、政治資金団体にのみ可能となり、額は企業の資本金などに応じ年750万円~1億円となった。