アメリカを支えた「コミカル」な小型トラック フォードF-1(1) 市場を変えた一大発明
ステーションワゴンに代わる働くクルマ
欧州にもピックアップトラックや貨物バンは古くからあったが、それは乗用車ベースが主流だった。あえて選んで乗るようなものではなく、荷物を運ぶ必要性から運転されることが一般的といえた。 【写真】アメリカの国民車 フォードF-1 現行のF-150とレンジャー 同時期のスポーツカーも (129枚) 純粋に商用目的で開発されたモデルが、グレートブリテン島を本格的に走り始めたのは1965年。フォード・トランジットが、革命的な変化をもたらした。しかし大西洋の向こう側では、その20年前に市場を一変させる発明が生み出されていた。 1945年頃から、アメリカでは市場調査という新たな科学が一般化。そこから、実務目的を果たしつつ、公道での快適性や走行性能を満たした、ステーションワゴンに代わる働くクルマの必要性が導かれた。 果たして、1947年11月にフォードが発売したのが、Fシリーズと呼ばれるピックアップトラック。年式的には1948年式で、乗用車の改良版ではなく、完全な独自設計が施されていた。2024年の北米におけるベストセラー、F-150の祖先だ。 フレームシャシーにはクロスメンバーが3本与えられ、堅牢なショックアブソーバーを実装。エンジンは、実績を積んだ既存の直列6気筒かV型8気筒のフラットヘッド・ユニットが採用された。 サスペンションは、前後とも従来的なリーフスプリングが支えたが、当時のフォードはステーションワゴンにも独立懸架式を採用していなかった。魅力を損なうような、弱点ではなかった。
経済活動の再建に合致したピックアップ
ラバー製マウントを挟んで、シャシーへ載せられたボディのスタイリングは、曲線基調のコミカルなもの。充分な最低地上高が与えられ、今へ続くピックアップトラックの原型といえるパッケージングにあった。 世界初となる生産ライン方式の量産車、1908年に発売されたモデルTの時代から、フォードは商用車を提供。通算1700万台を販売し、ユーザーの高い評価を集めていた。 創業者のヘンリー・フォード氏自身が、農家出身だった。乗用車以上に、安価なトラックの必要性が重視されていたようだ。 1941年に太平洋戦争が始まると、フォードは爆撃機やウイリス・ジープ、運搬用トラック、戦車用エンジンの生産へ注力。民間向けモデルの提供は、鈍化していった。 しかし終結後は、停滞していた経済活動の再建と、新規事業の立ち上げが加速。そんな社会情勢へ、ピックアップトラックは見事に合致していた。自動車の需要は、民間産業が活気づくのに合わせて急速に拡大していった。 戦後に提供され始めた乗用車の多くは、1942年以前の設計といえた。本格的に新しいモデルが登場したのは、1949年を過ぎてから。だがFシリーズのユーザーは、ひと足先に新世代を入手することができた。 GMとクライスラーも競合モデルを生産していたが、基本的には1940年代初頭のモデルへ改良を施したものだった。発売から1954年までは、V8エンジンを搭載した唯一のピックアップトラックでもあった。