『クルージング』徹底した写実主義者が切り取る、善と悪の境界線 ※注!ネタバレ含みます
※本記事は物語の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。 『クルージング』あらすじ 夜のニューヨーク。ゲイ男性ばかりが狙われる連続殺人事件が発生。密命を受けた市警のバーンズ(アル・パチーノ)は、同性愛者を装い、“ストレート”立入禁止のSMクラブへの潜入捜査を開始する。毎夜、男たちの性の深淵を彷徨い、身も心も擦り減らすバーンズは、遂に犯人の手がかりをつかむが―。
アンダーグラウンドの退廃的な雰囲気
「歴史上の人物で興味深いと思うのは2人。ヒトラーとキリストだ。真実だと信じていることが1つある。“人は誰でも善と悪の両面を持つ“。(中略)面白いと思うのは極端な例だからだ」(*1) ウィリアム・フリードキンは歯に衣着せぬ物言いで、周囲がザワつく発言をたびたびカマしてきた。いや、発言だけではない。発表した映画も議論を巻き起こすものばかり。『エクソシスト』(73)では、十字架が汚される場面がインサートされていたことからカトリック教徒から大バッシングを浴び、『L.A.大捜査線/狼たちの街』(85)では、製作を手がけたテレビドラマが盗用されたとしてマイケル・マン監督から訴訟を起こされ、『英雄の条件』(00)では、アラブ人の描写が人種差別的だという批判を受けた。 彼のフィルモグラフィーで最も議論を呼んだ作品は、ゲイ・コミュニティを舞台にしたサスペンス映画『クルージング』(80)かもしれない。ニューヨークで、ゲイ男性が次々に惨殺される殺人事件が発生。外見が被害者の特徴によく似ていたことから、刑事部長のエデルソン(ポール・ソルヴィノ)は若い警官のバーンズ(アル・パチーノ)に密命を託す。そのミッションとは、ゲイが夜な夜な集まるSMクラブに潜入捜査することだった。やがてバーンズは、未知の世界にどんどん引きずり込まれ、セクシャリティが変容していく。 この映画は、ゲイ・コミュニティから猛烈な批判を浴びた。ウィリアム・フリードキンは「私は単に、SMの世界を背景に殺人ミステリーを制作しただけだ」(*2)と弁明しているが、ゲイ男性が暴力に惹きつけられているかのように描かれていることは、否定できない。 評論家のブライアン・ユージェンスは、「ウィリアム・フリードキン監督の『クルージング』は、ゲイやゲイの生活を侮辱的に描いた、メジャー映画の典型的な悪役である」(*3)と辛辣な言葉で酷評しているし、ヴィレッジ・ヴォイスの記者アーサー・ベルは、「もし彼(ウィリアム・フリードキン)が社会正義の感覚を持っていたら、おそらく脚本を変更していただろう。事実上、殺人は同性愛者によるセックスの結果であるとこのシナリオは語っている」(*4)と猛烈に批判した。 「私たちが映画を制作し公開した当時は、ゲイ解放運動の第一歩だった。彼らはようやく認知され、政治的な影響力を得るための利益を上げ始めたところだった。それ以前には、彼らには何の力もなかった。彼らは虐げられた少数派だったのだ。そして、『クルージング』は、勃興しつつある政治運動にとって最善の第一歩となるような題材ではなかった」(*5) と、ウィリアム・フリードキンも性的マイノリティへの理解を妨げるものであったことは認めている。 その一方で社会学者のカミール・パーリアは、「私は『クルージング』を愛していた。他の人々が激しく非難している間も。(中略)アンダーグラウンドの退廃的な雰囲気があった。当時としては非常に先進的だった『クルージング』のサウンドトラックを購入して、何年も繰り返し聴いた」と発言している。 クエンティン・タランティーノ、ニコラス・ウィンディング・レフン、サフディ兄弟といったフィルムメーカーたちも、この作品に対するリスペクトを隠さない。それはカミール・パーリアが言うところの、「アンダーグラウンドの退廃的な雰囲気」に惹かれた故なのかもしれない。