「ただ一人、妻だけが私を“キモイ”と言わなかった」余命宣告された森永卓郎氏が身辺整理で見せた妻への愛
「この人と結婚して本当によかったと思う」
離婚の危機に直面したこともある。 2006年に私の父が脳出血で半身不随になったことから介護生活が始まったことについては先に触れたが、妻の苦労は大変なものだった。 毎朝6時に起きて、父を着替えさせ、歯を磨かせる。トイレは何とか自力で行けたのだが、ちょっとでも躓くと立ち上がれないので目が離せない。 家中に警報ベルを設置していて、夜中に警報ベルが鳴ると「あ、倒れたな」と察して、妻はそのたびに飛び起きて駆けつけていた。 私は何をしていたかと言うと、都内の仕事場で寝泊まりをして、週末にしか家に帰らない生活を続けていた。すべての父の介護が妻に覆いかぶさっていたのだ。 さらに事件が次々と起きた。父は体は不自由でも頭がフル回転だったので、事あるごとに文句を言い続け、妻のストレスは最高潮に達していた。 妻からの訴えを受け、あまりに酷いと感じれば、私の口から父に注意をしてはいたのだが、息子の言うことを素直に聞き入れるような父ではなかった。 そんなある日、「はっきりとしているのは親父の性格が治ることはないということだ」などと言ってしまった一言が妻の怒りを爆発させたのだ。 仕事中に妻から「誰のお父さんでしたっけ」というメールが届き、無視していたわけではないが、目の前の仕事に追われていたところ、「もう離婚するしかない」と通告されてしまったのだ。 そうこうしているうちに父は体調を崩して入院し、その後は施設に入所することになったのだが、妻は毎日、施設に通い続けて父の世話をしてくれた。 「ここまでお父さんのお世話をしてきたのだから、放り出すわけにはいかない」と言っていたのが印象的だった。 私は妻の生真面目さに救われたのだ。 施設に入って2年ほどで父は他界したが、迷惑をかけっぱなしだった父が最後に妻に「ありがとう」と感謝の言葉を口にした。私は妻には頭が上がらないと思った。 さらにここへきて、今度は自分の身の回りのことを妻にしてもらわなければならなくなってしまった。 要介護3に認定された私は、一人で着替えることはできるのだが、とても時間がかかるので、妻に靴下まで履かせてもらっている。 そんな時、「この人と結婚して本当によかったと思う」とメディアで語ったところ、妻がたまたま聴いていて「いい加減にしてよね、外面がいいのにもほどがある」とか言っていたが、外面なんてどうでもいい。本心しか言わないのが私なのだ。 結婚して40年以上になるが、朝から晩まで一緒の時間を過ごすのは初めてだった。一緒にテレビを観たり、スーパーへ同行したりするのが新鮮で、がんになって新婚気分を味わっているかのような日々が続いた。