年々早まる「ラン活」、新素材による多様化、6年間の思い出が「呪い」にも――令和のランドセル事情 #令和の親
今年度も小学校に新1年生が入学して、はや2カ月が経った。小さな体が背負う、新品ピカピカのランドセル。と思えば、背が伸びた高学年の中には、リュックを背負っている児童もチラホラ……。早めにランドセルを卒業する子どもがいる一方、ランドセルは大型・軽量化への開発が進み、さらに異素材タイプが続々登場するなど、業界の動きは活発だ。親たちの関心も高く、「ラン活」スタート時期は年々早まっているという。「ラン活」のピークを迎えるこの季節、ランドセル最前線から「ランドセル終(じま)い」まで、最新のランドセル事情を取材した。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
昭和40年代から続く日本の慣習
神奈川県川崎市内の小学校に通うハヤト君(小6)は、小5の春からランドセルではなく、市販のリュックで通学するようになった。理由は、中学受験のための塾通いだ。 「小4まではいったん帰宅してからランドセルを置いて出かけていたけど、塾の授業前テストのために、学校からそのまま行くことにしました。塾のテキストもたくさんあって、ランドセルだと重いし、塾でも置きづらいからリュックにしました」 サッカーのクラブチームに所属するショウタ君(小5)も同じような理由でリュックに替えた。放課後そのまま練習に参加するが、ランドセルでは着替えやスパイクが入れづらいのだという。 「せっかくおじいちゃんが買ってくれた高いランドセルだったけど早めに卒業しちゃった。ママが、『これどうしてくれるのよ~』とか言ってます」 少しすまなそうな顔でショウタ君は言う。
ランドセルは幕末、軍隊で活用された布製の「背のう」が原型。オランダ語で「ランセル」と呼んだことから、「ランドセル」ということばが生まれた。現在のような箱形ランドセルになったのは、1887(明治20)年。皇太子だった大正天皇が学習院初等科に入学する際、伊藤博文が献上した通学かばんが、ランドセルの始まりだとされている(諸説あり)。 男子は黒、女子は赤のランドセルが使われるようになったのは、昭和30年代、団塊の世代が小学校に入学する頃のこと。戦後の貧しい時代、きょうだいや親戚の“お下がり”は当たり前だったが、高度経済成長期に入ると、ランドセルの販売個数も増え、団塊ジュニアが入学する頃には、子一人にひとつのランドセルが当たり前になっていく。 ハヤト君らのように早めにランドセルを卒業する例もあるが、令和の現在も大半の児童は6年間ランドセルを使い続ける。「新品のランドセル」は、幼児から児童への成長のアイコン。親や祖父母が新品のランドセルを買い与えることは、昭和40年代から続く日本の慣習だ。少子化が進む今、お下がりを与える例は少ない。