「納豆日本一」に輝いた食品メーカーの粘り強い組織変革 4代目が意識した従業員への「声かけ」
「納豆菌と会話できるように」
関本さんは大学卒業後、岡山県の乳業メーカーで工場勤務と品質管理の仕事に従事しました。妻と結婚し、入社から4年ほど経ったころ、2代目だった妻の叔父が若くして亡くなり、現社長の義父・髙橋武男さん(82)が3代目になりました。 「義父の子どもは当時誰も家業に入っておらず、そこで終わる可能性があったんです。私は2代目にかわいがってもらい、就活の時も『納豆屋をやってみないか』と言われていました。当時は絶対やらないと思っていましたが、2代目の声がよみがえり、無くしたくないと思ったんです」 関本さんは自ら志願して2004年、菅谷食品に入りました。まずは工場で納豆づくりの全工程を勉強します。義父からは「納豆菌と会話できるようになれ」と言われました。「代々の教えだそうですが、最初は声なんて聞こえないし、訳が分かりませんでした」 従業員はベテランばかり。厳しい言葉も浴びましたが「全て教えて下さいという気持ちでアドバイスをもらいました」。
朝礼を始めて情報共有
中でも苦労したのが、入社半年後から任され始めた納豆の発酵状態の管理です。発酵室は温度計などで管理しますが、部屋が納豆でいっぱいになるまで約1時間半かかります。 入れた時間で発酵の度合いが異なるため、細かく状態を見る必要があります。最終的には、人の目で発酵室から出すかどうか判断しなければなりません。最初はうまくいかず、顧客から「糸が弱い」、「においがきつい」という反応もありました。 「この見極めは数値では計れませんが、発酵は最後の工程なので自分が間違えたらみんなで作り上げた納豆がダメになります。責任を感じて必死にやりました」 入社から5年ほど過ぎた2009年ごろには、納豆を見るだけで状態がわかるように。「今が出すタイミングなのか、熱すぎるのか。納豆の顔を見て心の会話をすると状態が伝わってくるんです」 組織で上に立つ自覚と自信が芽生えた関本さんは、このころから始業時に朝礼を始め、連絡事項の共有や声かけをするようになりました。 「朝礼で従業員の顔を見ながら話をすることで、『何か問題はないか』と気づくことができ、早期に手が打てます。前に立って話をすることで、従業員も徐々に『この人についていくんだ』という意識になってきたと感じました。納豆づくりでは厳しい師匠だった義父も、その他は自由にやらせてくれました」