【潜入ルポ】土佐熟女が「秘密の技」をほどこす、泊まれない旅館……高知「玉水新地」の存在理由を考える
かつて224人の娼妓が居た
JR高知駅から路面電車を乗り継ぎ20分。上町5丁目という停留所で降車し、大通りから1本外れた路地にとある旅館街がある。 【写真】 歌舞伎町でひっそりと営まれる「違法風俗店」の「ありえない実態」 そこで堪能できるのは料理や温泉や宿泊ではない。なんと生身の女性そのものなのである。 玉水新地。歴史は古く、明治5(1872)年に遊郭としての認可を受け、150年以上経った今でもその文化が細々と生きながらえている。 昭和5年には貸座敷27軒、娼妓は224人が居たとの記述がある(『全国遊郭案内』より)。かつて高知市内には稲荷新地という遊郭があり、玉水新地が「上の新地」、稲荷神新地が「下の新地」と呼ばれたが、その稲荷新地は1945年1月19日の高知大空襲により壊滅。その後2度と復活することはなかった。 一方の玉水新地は戦災を逃れ、軒数は減ったとはいえ古くからの街並みを色濃く残している。現役で営業している旅館以外にも赤線建築の建物が残っていたり、おそらく昔は「そういう営業」をしていたであろう、バーの亡骸がちらほらと残っている。 今回はその玉水新地の潜入レポである。先に断っておくが、「新地」と言っても大阪の飛田新地や松島新地のように20代の若い女性がお相手になることはまずない。 「熟女専門」の新地である。 2023年8月。照りつける日差しの中、私のYouTubeチャンネル内の「青春18きっぷで行く西日本アングラ紀行」という企画の一環で、私は玉水の地に降り立った。歴史ある旅館の見学が目的ではない。旅館で妙齢の女性と一戦交えるためである。 陽が落ちてからこういった街をうろうろするのはあまり行儀がよろしくないので、朝8時に一帯の下見をする。通りには小さな川が流れており、その川を境にして2mほどの高低差がある。下側に3軒、上側に1軒の看板を掲げた旅館がある。 上側の1軒は古びた旅館という感じではなく、外観は普通の一軒家だ。おそらく夜になるとこのうち何軒かがが営業を始めるのだろう。