75歳ひとり暮らしの「不安」との向き合い方。物忘れによって生じた新たな難題
生きていると、どうしても陥ってしまう「不安」な気持ち。人によって、日々の不安との向き合い方はさまざま。団地でひとり暮らしをする美術エッセイイストの小笠原洋子さんに、不安を少しでも軽減するために、日々意識していることを語ってもらいました。 【写真】本を読む小笠原さん
漠然とした日々の不安は、言語化して対策を
生活するうえで、不安をなくすことはできないと思っています。たしかに「備えあれば憂いなし」ではありますが、完全になくすのは難しいでしょう。私はその不安を解消しようとするのも、人間の自然のありようだとも考えています。とにかく極度の不安には、陥らないようにしたいものです。とくに私の場合はひとり暮らしですから、不安を数え上げたらきりがありません。 極度の不安に陥らないためにしていることは、ただ不安に怯えるだけではなく、その不安の中身を目の前に書き出すことです。そのことを恐れずによく見極め、自分自身を問う材料にできれば、ただの怯えから、それを克服しようとする意欲に変わってきます。漠然とした不安の場合、書き出すことではっきりすることもあるでしょう。なにかしら対策を講じようとする気持ちになり、行動してみるきっかけになります。
いつか起こる災害の不安は、日ごろの備えで解消
たとえば大型台風が来るというニュースがあったとします。もしも住まいの方角を直撃する可能性が報じられたりすれば、不安になるはずです。スーパーの棚がカラになったと聞けば、さらに不安は倍増するでしょう。 でも災害はいつか起こるもので、前もって備えておけば、不安も軽減させることができるはずです。ひとり暮らしの私がそういった災害への不安をやわらげるために行っているのは、部屋をつねに片づけることです。不要な物を処分して、買い占めをしないように、しっかり日頃から備蓄をしています。災害はいつ起こるかもわからず、完全に払しょくすることはできない潜在的な不安ではありますが、これを自覚していくことも大事だと思っています。
年齢を重ね、物忘れによって生まれた不安
年齢を重ねるたび、新たな不安もついてまわってきます。今、私を脅かしているのは、月々たった4万円の年金で、この先どうやって生きていけるだろうかということです。大病を患ったらどうしよう、地震で家を失ったらどうなるのだろう…という難題ももちろんありますが、物忘れへの不安も生まれました。 この夏、75歳の誕生日を迎えて後期高齢者になった私は、書留郵便で発送された公的な証書を受けとった記憶がまったくなく、再発行してもらうという事態になりました。発送記録があるだけに、なぜそんなことが起きたのか不思議でたまらなくなりました。 再発行されるのだから、それでいいと思えばすむことですが、私の受領書が郵便局にもあるとのこと。私はますます混乱し、自分自身への不信感で、不安は頂点に達しました。そして証書が、引き出しの中で見つかったとき、私はとても驚きました。大事にしまっておいた記憶がなくなっていたことの衝撃は、この先も同様の物忘れが度重なるかもしれないという、新たな不安材料になったのです。 それでも、もしこの再発行手続きを後まわしにしたり、追跡調査も依頼せずにいれば、不審感によるモヤモヤを放置することになり、それがいつしか得体の知れない不安感へと増大していったことでしょう。