強豪への歩み/2 「狭間1期生」土台作る /兵庫
<第91回選抜高校野球大会> 野球によるまちおこしという重責を負い、2006年に明石商へ着任した狭間善徳監督。この年に入部した「狭間野球1期生」の清水剛さん(27)は「監督は弱みを全く見せなかった」と懐かしむ。 練習は厳しかった。1日4時間もノックが続き、耐えられずに同期たちは次々に退部した。それでも最後まで狭間監督に食らいついた清水さん。「監督についていけば、きっと何かが変わると思った」と当時の胸の内を語る。 清水さんにとって最も印象に残っているのは、2年夏の新チーム発足直後にあった練習試合での出来事だ。グラウンドに現れた狭間監督の顔は真っ赤に腫れていた。体調が悪いのは明らかだ。それでも氷のうを顔に当てながらベンチ前で平然と指揮を執り続けた。「目だけはギラギラしていた。野球にかける監督の熱い思いが伝わってきた」 ◇ 明石市による05年の指導者公募で選ばれた狭間監督。06年にコーチに就き、翌年に監督になった。 指導者としての実績は十分だ。明石南、日体大時代は内野手として活躍。母校や高砂南でコーチをした後、明徳義塾(高知)のコーチに転身して名将・馬淵史郎監督の薫陶を受けた。1993年には明徳義塾中の監督に就き、4度の全国制覇を成し遂げていた。 モットーは「やってみせる」。どんなプレーも、まずは自らが手本を示す。選手をほめることも忘れない。「成功体験の積み重ねが選手を成長させる」と狭間監督は語る。 ◇ 今月初旬の夜、清水さんは母校のグラウンドを訪れた。同じく「狭間野球1期生」の高月義志(よしゆき)さん(28)、上原裕樹さん(27)、和田一輝さん(28)も一緒だった。 ナイター照明の下で練習する後輩たちを見つめる4人に、狭間監督が笑顔で話しかけた。「お前らは特別な存在や。めちゃくちゃなことにも耐えて明石商の土台を作ってくれた」 「1期生」たちは3年になった08年夏、西兵庫大会で4強に入ってみせた。快進撃のおかげで翌春は多くの新入生が入部。部員はついに100人を超えたのだった。=つづく 〔神戸版〕